皆さん、こんにちは。
ジーエスアイの日高です。
先日、軽井沢に行ってきました。
紅葉もかなり進んでいて、森の空気も冬の香りを感じるようになっていました。
令和最初の冬支度が始まった、そんな季節の変わり目を一足早く感じることができました。
さて今回は、私がグリーフサポートバディになって約半年、途中になっていた「ひだ坊のバディへの道」のプロフェッショナルコースからを振り返り、【完結編】としてお届けすると共に、バディとなって今、思うことを綴ってみたいと思います。
【プロフェッショナルコース】
私は母の介護のために宮崎に帰省していました。
プロフェッショナルコースが始まったのは今年の1月。
年末に余命宣告され、1度は母の思いを尊重し、治療は諦め、覚悟を決めた時期もありました。人工透析さえ出来れば、受け入れてくれる病院さえ見つかれば、救える命なのに、なぜ諦めなきゃいけないのか、家族、親戚と何度も何度も話し合いを重ね、
「家族みんな1分でも1秒でも、どんな状況でも生きていて欲しい」という思いを伝え、母も納得してくれたので、受け入れてくれる病院を探し、無事に人工透析を開始することができました。
年末に余命3週間と言われた母ですが、現在は認知症は進んでいるものの元気に生きています。当時の私の状態や苦悩についてはこちらでも触れていますので、お時間があれば読んでみてください。
そういった状況の中、プロフェッショナルコースのスタートの日が迫ってきて、 母の容体もまだ不安定なのに、こんな状態でセミナーを受けても大丈夫なのか迷っていました。
でも、ここで後押ししてくれたのはベーシックコースやアドバンスコースで学んだ 自分と向き合い、自分らしさを取り戻すためのセルフケアの時間でした。
数か月、母の介護に専念していた私は、いつの間にか自分が頑張らなければと追い込んでいました。
バーンアウト寸前であることに気づいた私は安全・安心な場所で、自分の心と向き合うためにセミナー参加を決めました。
ありのままの自分を受け止めてくれる仲間がいて、愚痴を言えて、感情を曝け出せる場所に戻って気持ちの整理をしたかったからです。
プロフェッショナルコースともなると更に踏み込んだカリキュラムが用意されていて
①より複雑化したグリーフのサポート
②自死遺族のためのグリーフサポート
③子どものためのグリーフサポート
と、サポートする上で避けては通れないケースを学びました。
子どものグリーフを支えるためには、自分が初めて体験したグリーフを振り返るのですが、段階的に年を戻していくので、何かセラピーを受けているかのように過去の記憶が蘇ってきました。
写真では見たことがあった母方の祖母の葬儀ですが、全くと言って良いほど記憶にないものだったので、大切な祖母との別れの時間を覚えていないことに寂しい気がしました。
私が本当にグリーフを感じたのは、父方の祖母の葬儀ではないかと思います。
初めて父が肩を震わせながら泣く姿を見た時に、当時、私が感じていたことが、大切な人と別れることは辛いという感情なのだと知ったような気がします。
そして、プロフェッショナルコースでは座学だけではなく、実践レポートを提出するという課題がスタートします。
1月の私は母との別れが近いと覚悟した直後だったので、予期悲嘆の状態にありました。そんな私が他の誰かのサポートが出来るのか、サポートして良いものなのか、ここでも迷いました。
しかし、母を見舞いに来た甥を見た時、認知症が始まった母が自分のことを覚えていないことにショックを受けていて狼狽えていました。
実は私にもその経験があり、母方の祖父に「誰だ、お前は」と言われたことがあり、本当にショックでした。
なかなか会えない甥なので、時間をかけ、甥が話してくれるのを待って、さらに自分もおなじような経験をしたことを話した上で、「今おばあちゃんは、こういう状態だけど快方に向かってて、しばらくしたら必ず思い出すから」と安心させることだけを考え、落ち着かせることに集中しました。
安心するまで待つことで、甥は落ち着きを取り戻してくれました。
もし、私がグリーフサポートを学んでいなかったら、甥が母に忘れられてしまってグリーフの状態にあることに気づいてあげられなかったでしょう。
甥の気持ちに気づき、寄り添ってあげられたことで、自信を持つことができました。
これまでのベーシックコース、アドバンスコースと学んできたことの積み重ねと、プロフェッショナルコースでの新たな学びがあったからこそ、甥に寄り添うことができたのだと思います。
実践で自信が持てたことで、その後に行われた認定試験にも合格し、晴れてグリーフサポートバディ8期生になりました。
【グリーフサポートバディになって】
バディになるまで足掛け1年半、振り返ると自分と向き合い、辛い時期もありましたが、たくさんの異業種の方と知り合うことができました。
ベーシックコース初日に、緊張している私に葬儀社の方が声をかけてくれて、とても安心しました。また、闘病中の母について相談に乗ってくれた先輩バディの存在には本当に助けられました。
グリーフサポートを学ぼうとする同じ志を持った人たちが集い、たくさんのディスカッションをする中で、少しずつお互いを知り、その中で絆が生まれたり、新しい繋がりが出来たり、そうやってグリーフサポートの輪が広がっていくのを目の当たりにして、私がバディになって次にやるべきことが見えてきました。
それは引き続き、自分と向き合う作業は続くけれども、これまでのセミナーを通じて学んだことを活かして、身近にグリーフで辛い思いをしている人がいればサポートしていきたいと思いますし、少しずつでもグリーフサポートの大切さを知ってもらえるよう、私なりに活動していけたらと思います。
本日で「ひだ坊のバディへの道 ~No Buddy No Life~」は完結いたします。
これまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
(書いた人:日高 一哉)