運動嫌いを克服したらついてきたもの。
ジーエスアイ スタッフの穴澤です。
私は小さな頃から運動することが苦手で嫌いでした。足は遅いし、ボールもうまく投げられない。すぐ転ぶ。すぐ疲れる。気管支炎を治すために習っていた水泳くらいしか、みんなと同じようにできると思えるものはありませんでした。
背は高くヒョロッとした体型だったので、その外見から、いかにも運動が出来そうに見られることも多くて、見掛け倒しの、何をやってもパッとしない自分に劣等感を抱いていたんです。
そんな運動嫌いな私だったのに、40代になってから身体を動かすことが大好きになり、今では時間があればフィットネスクラブへ通っていますし、家でもストレッチやヨガを自然にするようになりました。というか、しないと気持ちが悪くなるんです。
運動に熱中するようになったきっかけは、なんと占星術の先生にアドバイスされたから。
「あなたのようなホロスコープを持つ人は、筋肉をつけて、しっかりとした身体でいることで運が回ります」
‘’筋肉をつけた方がいいホロスコープ?‘’
なんだかよく分かりませんでしたが、年齢的にも体力や筋力をキープする必要性を感じていましたし、下へ下へと弛んできた身体をどうにかしたいという気持ちがあったので、先生の言う通りにしてみようと思いました。
フィットネスクラブに通いはじめたら、いろんなレッスンがあり、その中でもダンスクラスが楽しくて、あっという間に運動習慣を手に入れました。
身体を動かすことで得られる爽快感や幸福感は、今までの趣味や仕事では味わったことのない種類のものでした。
続けていくと、身体のラインが目に見えて変わってきたり、今までできなかったことが出来るようになるので、成長や変化を感じられるんですよね。
それは、自分への信頼が高まったといってもいいのかもしれません。
ずっと文化部だった私にとって、運動が素晴らしいギフトをもたらしてくれるということを、この年齢になって初めて知ったのです。
話さなくていい環境が救いになる
フィットネスクラブに通っていると、実にさまざまな人に出会います。
同じレッスンに参加し続けていると、挨拶をしあう仲間も出来て、緩いコミュニティにもなっていきますが、深入りしすぎない関係性でいられるのが良いところなのではと思います。
出会ってからずいぶん経つし、いつも楽しく談笑するけれど、実は名前もフルネームでは知らないし、どんな仕事をしているのかも、家族構成もお互いに知らない。
タブーになっているわけではありませんが、無意識ながらお互いに、「知り過ぎない方がちょうどいい」と思っているのかもしれません。
その塩梅が、なんとも気楽でありがたく感じる時があります。
日常で背負っているバックグラウンドから離れて、ただ共通の趣味の話で盛り上がれる人がいるって、一種の救いになるのではないでしょうか。
ひたすら引きこもりたい時もある
私は息子を亡くしたばかりの悲しみが強かった時期に、今まで通っていた場所に足が向かわず、どこもかしこも行けなくなってしまったということがありました。
たとえば、美容院や歯科クリニック、クリーニング店など、息子を連れて日常的に通っていた場所にひとりで行くことが怖かったのです。
良くしてくれた人に亡くなったことを伝えるのはしんどいし、そこからいろいろと聞かれて事情を話すのも気が重い。
街中で感情が溢れて涙が止まらなくなったら、もっとまずい。
励まされたり、共感されても、素直にありがとうと言えないかもしれないし。
人と話すエネルギーがない。何か想定外のことが起きても、対応できるエネルギーがない。
そんな気持ちがもんもんと湧いて、結局、今まで通っていた馴染みの場所を捨てて、新しいところに切り替えてしまったこともあったのです。
少し元気になってきたら「積極的ひきこもり」をしてみよう
悲嘆の気持ちを抱えて苦しい時、誰かに助けてもらいたいと救いを外に強く求める人がいる一方で、社会や人と繋がることに恐怖心を感じて引きこもりたくなる人もいます。
外に出て行ったら、傷つくようなことに遭遇しそうな気がするので、世間から自分を閉ざしていた方が安全に思えるのです。
でもずっと引きこもっているわけにもいかないですよね。
日常生活はしていかなくてはいけないし、少しづつまた他者と繋がりを作りながら、自分の人生を取り戻していかなくては、と決心する時がどこかで訪れるように思います。
フィットネスクラブのような場所って、そのリハビリにちょうど良いのかもしれません。
インストラクターやメンバーとの交流を楽しみに通っている人もいますが、誰とも交流せずに、孤高にマシントレーニングやランニングをしているだけでも当然いいわけです。
どんなスタンスでも(マナー違反でなければ)受け入れてくれて、好きな時にふらっと予約なしで行けて、自分のペースで身体を動かせる。
お風呂やマッサージ機にかかるだけで来てもいい。
人の気配はあって、ちょっと外の世界と繋がりながらも、自己開示をしなくていいし、マイペースでいられて、自分の安全領域を確保しながらそこにいられます。
鏡が多い環境ということもあるし、身体の感覚にフォーカスするので、等身大の自分と向き合うことに繋がり、そんな時間を持つことも大切だと思うのです。
「積極的な引きこもり」といったら、変かもしれませんが、元気になっていくプロセスとして、こういう過ごし方は有効な気がしています。
そういう時期を経て、いつのまにか、人とコミュニケーションすることの恐怖感が和らぐ人もいるかもしれないなと思うのです。
運動は、感情や認知面への処方箋になる
少なくとも、定期的に身体を動かしていくと、運動の効果は感じるはずです。
前述の通り、私も運動習慣がついたことで、気分の良い時間が増えたし、自分への信頼度が高まりました。
運動をするとなぜ爽快な気分になるのかというと、心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストな状態になっていくからなんだそうです。
運動というと、筋力や心肺機能を高めるものと思ってしまいがちですが、それよりも脳への効果が重要なようです。
近年、運動が脳を育てて、認知や精神面の健康に影響をもたらすことがさまざまな研究から明らかになってきて注目を集めています。
運動をすると、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミン、エンドルフィンなど、思考や感情に関わる重要な神経伝達物質が増えていくということを聞いたことがあるのではないでしょうか。
それによって、気持ちを前向きにしたり、幸福感や自尊心の高まりを感じやすくなると言われています。
運動は脳の化学反応を変えるので、うつなど精神的な病に対する予防・改善などにも効果があることが分かっています。
病気ではないにせよ、大きな喪失体験があった時には、心身のバランスを崩していることが多いので、同じように、運動による調整効果が期待できます。
しんどすぎて、世界から心を閉ざしてしまいたいという気持ちになっている時、無理に頑張らずに、心のむくまま、引きこもっている時間があって良いと私は思います。
そして、そろそろ外の世界に出てみても大丈夫かなと思える時が来たとしても、いきなり心の扉を全開にしていくのは勇気がいることだと周囲が理解をしてあげることが大切です。
そんな段階の方をサポートする際には、安心して過ごせる「積極的な引きこもり場所」を一緒に見つけてあげると良いと思います。
人によっても異なると思いますが、マイペースでいられて、話さなくていい自由があって、体も少し動かせるような場所が、心と身体を健全な方向へ導いてくれるはずです。
支える方が知っておいてほしいこと
たとえば、フィットネスクラブが、グリーフワーク(悲嘆の苦しみから回復していくプロセス)に結果的に使われているということを意識している人はほとんどいないと思います。
でも実際に私が見聞きしているだけでも、ご家族を亡くされたあとにフィットネスクラブに入会し、運動習慣を持ったことで、生活のリズムを取り戻したり、新しい仲間を見つけ、前向きな姿勢を取り戻している人たちが何人もいます。
施設に関わっているスタッフやインストラクターの皆さんは、知らず知らずに悲嘆からの回復のお手伝い役を担っていることもあるかもしれません。
頭の片隅に、その可能性を置いておいてほしいのです。
目の前にいる人は、いろいろな背景を抱えながら、何かから楽になりたくて、何か支えが欲しくて、そこにいるかもしれない。
そして、その支え役を自分たちが担っているかもしれない。
そういう可能性をどこかに感じながら接してもらえると、少し様子のおかしいお客様や孤立しているような雰囲気のお客様が現れたとしても、お気持ちが汲めるようになって対応しやすくなると思います。
「明るい環境と笑顔を提供していくこと」
「ひとりひとりのスタンスを尊重し、居場所を作ってあげること」
それだけで支えられていると感じ、愛着を抱いてくださるお客様は増えると思います。
安心安全な場づくりは、悲嘆に苦しむ人たちへ優しいサポートに直結するのです。
(書いた人:穴澤由紀)