3.11に寄せて。悲しめなくてごめんなさいと思っていた私に真実と向き合わせてくれた1冊の本。

あなゆきnote

2011年3月11日に起きた東日本大震災から7年が経ちます。


「あの時、どこで何をしていましたか?」
今でも誰かとそんな話になることはないでしょうか。

日本に、そして世界に、とてつもない大きな衝撃と影響を与えた未曾有の災害です。
誰の心にも、忘れられない日として刻まれているはずです。
誰の心にも、あの日のストーリーがあるはずです。


あの日を起点に、自分の意思で人生を変えた人を何人も知っています。

転職して働き方を大きく変えた人、故郷に帰った人、結婚を決意した人。

そしてもちろん被災された人々の中には、家族や住まいや仕事など、大切なものを根こそぎ奪われ否応なく人生が変化してしまった人が多くいらっしゃいます。


「あの時、どこで何をしていましたか?」
と目の前の人に聞いてしまうのは、震災によって感じた当時の不安や悲しみ、言語化できないほどの衝撃を改めて分かち合いたいからでしょうか。

それだけではなく、「あの日からどう生きていますか?」という意味が含まれていて、あれからみんなはどう折り合いをつけていったのか、人間が持っている回復力を確かめたいという思いがあるのかもしれない……そんな風にも感じています。



私は、あの日、岡山の病院で子どもの付き添い入院をしていました。
24時間大きな病院の中で生活し、生死をかけて治療を頑張っている我が子に寄り添う生活が、1年ほど続いていました。

当時は、とにかく必死だったし、子どもと一緒にいられるだけで幸せだったので苦労とは思いませんでしたが過酷な部分もありました。


たくさんの小さなお子さんが、病と向き合い、痛みを伴う治療や制限の多い入院生活を健気に頑張っていて、その姿に励まされていましたが、残念ながら全員が元気なっておうちに帰れるとは限りません。

一緒に治療を頑張っていたお子さんが亡くなることも少なくなかったですし、どうしても我が子の容態については一喜一憂してしまいます。

厳しい命の現場に24時間身を置く中で、冷静に穏やかに、子どもに出来るだけ不安を感じさせないように過ごしていくには、母として自分自身をどう保っていくかがとても大切でした。
精神力と体力が試されるような毎日でした。

そのような時に、あの日がやってきました。

当然ながら、私がいた岡山では1ミリも揺れを感じませんでした。停電も物資の供給もほとんど影響はなかったと思います。

だからなのか、テレビで何度も何度も映し出される津波や福島の原発事故の映像も、まるで映画を見ているようで、現実に起こっていることとは受け止めきれずにいました。

消灯後の静かな病室の中で、穏やかな表情で寝息を立てる我が子に安堵しつつ、小さなテレビ画面に映し出されているものに対して輪郭がつかめず、ただ茫然と眺めていた夜を思い出します。

大変なことが起きたということは分かっているし、身体はずっとなんともいえない重苦しさを感じていたけれど、生々しい感情が沸き起こってこなかったのです。
  
東北がこれほどまでに凄惨な状況に置かれ、多くの人々が苦しんでいるのに、報道を見ていて感情があまり動かない。

「自分は冷たい人間なのかもしれない」と恥じていました。
 
「ちゃんと悲しめなくてごめんなさい」
誰にも言わなかったけれど、そんな気持ちを持ち続けていました。

今思うと、それは私の防衛反応だったと分かります。
心にも身体にも余裕がなく、常にギリギリの状態で、私の目の前にも過酷な世界が広がっていたんです。

時に辛い症状や痛みに苦しんでいる子どもたちを目の当たりにすること。
子どもにたくさんの我慢を強いなくてはいけないこと。
家族との離散生活で、ずっと自宅に帰れていないこと。
まともな食事がとれないこと。ゆっくり眠れないこと。
集団生活の中で、プライバシーがほぼないこと。
 
そして、この場にも生と死がそばにあること。(そのことを意識しなくてはいけないこと)


看護師さんやママ達と冗談を言い合い、適当に息抜きしながら過ごしていましたし、「東北で避難所生活をしている人達に比べたら、こんなことなんでもないことだ」と心から思っていましたが、自分の自覚以上に、身も心もギリギリに追い込まれていたのだと思います。


だから、無意識に感覚を麻痺させて、シャットダウンしていたのでしょう。
もうこれ以上自分を追い込んではいけない。悲しみを感じてはいけない。
もうこれ以上傷ついてしまったら、私は子どもを守れなくなる。


私の本能的な部分が、震災のリアリティに近づくことを恐れていたのだと今になって思います。


あれから7年。
多くの人達と同じように、毎年3月11日には黙とうを捧げ祈ってきました。
被災地に出向き、壮絶な爪痕をこの目で確認もしました。

でも当時感じていた、あの「ちゃんと悲しめなくてごめんなさい」というどこか後ろめたい思いは消えることなく私の中に存在し続けました。

しかし、今年は違う思いで3月11日を迎えられるかもしれません。
数日前に1冊の本を読んだことで私の中に変化があったのです。

津波の霊たち 3・11 死と生の物語 (早川書房) 
リチャード ロイド パリー (著),‎ 濱野 大道 (翻訳)

この作品は、2011年3月11日に起きた東日本大震災についてのルポルタージュです。

息をするのも忘れそうになるほどに集中して一気に読みました。
しかも、はじめから終わりまでほとんど泣きっぱなし。
翌朝は目が腫れてお岩さんみたいになってしまいました。


東日本大震災をテーマにしたノンフィクション作品はたくさん存在していると思いますが、この本の特筆すべきところは、著者がイギリス人であるということです。

イギリスの《ザ・タイムズ》紙の東京支局長を務めるロイド・パリーさんは、震災直後から東北に通い続け、多くの被災者や遺族へのインタビュー取材を長期に渡り、愚直に進められました。
 
「イギリス人の視点から捉えたこの大震災はどういうものだったのか」
そこに興味を持って手に取ったのですが、驚くべきほどに「日本社会と国民性」が浮き彫りになっていて、私達日本人では気が付けないところまで鋭い観察眼で書かれています。


この本のテーマは大きく分けてふたつあります。
宮城県石巻市の大川小学校の事故の真相と、震災後に相次いだ「幽霊」の報告についてです。

大川小学校事件は、津波によって児童74人、教職員10人が亡くなるという学校での事故として戦後最大の犠牲者を出した大惨事でした。

当時、多くのテレビや新聞でも報じられたので、記憶に残っている方も多いと思いますが、ニュースでの表面的な情報では見えてこなかった真相や、ご遺族のそれぞれの思いや置かれている状況が克明につづられています。

ロイドさんのお人柄や聴く力がどれほど素晴らしいのか想像に難くありませんが、亡くなったお子さんのご遺族が、とても深い部分まで胸のうちを語ってくださったというのは、相当の信頼関係を築けていたからこそだと思います。

読み進めながら、何度も「これが小説であることを願う……」と思いました。

それほどリアリティに溢れているということです。

亡くなった74人の子どもたちには、それぞれに家族がいて、友人がいて、先生がいて、家があって、学校があって、美しい自然がありました。
何より可能性に溢れた未来がありました。

そんな当たり前のことが、はっきりと輪郭を持って私の中に浮かびあがってきた時、子どもたちの生き生きとした笑顔や息遣いに触れているような気持ちになって、失ったものの量感に圧倒されました。

さらに、残された家族が抱えている思いやニーズが違うことは当たり前であり、その多様性が社会の中でうまく吸収されていない……その課題にも鋭く踏み込んでいる内容となっています。

ものの見方や意味はひとつでないということを知ること、多面的に捉えることがいかに大切か、それを考えざるを得ません。
 
 
死別で苦しんでいる方がどんなことに助けられていたか、逆に必要としていたのにサポートが受けられなかったのはどんなことだったのか、その視点を持って読み進めていくと、気付きが多いと思います。

たとえば、私はこのようなことに少し驚きを感じました。

・多くの遺族が占い師や霊能者を頼り、亡くなった魂と対話をすることで励みをもらっていたこと。
 
・遺族だけで思い出の場所に行くよりも、テレビ取材のクルーがそばにいてくれた方が明るい気持ちになれると感じる人がいたこと。

このようなことも、実際にその方が語ってくれなければ知りえないことです。


なお、もうひとつのテーマである「幽霊」については、ぜひ実際に読んでいただいて、幽霊の正体とはいったいなんなのか、それぞれに感じ取っていただきたいなと思います。

本書では、幽霊をオカルト的な捉え方をしていません。存在の否定もしていません。

幽霊を生み出しているのは、人間なのかもしれない。
そこまでに人を追い込んでいくものとは、いったいなんなのか。
トラウマがどのように作用していくのか。
 
私自身はそんな風に感じたので、しばらくゆっくり考えてみようと思っています。

この本を読んで、震災のリアリティを掴み、やっとしっかりと悲しむことが出来ました。
 
7年間、自分の深い部分に抑圧してきたものをそっと浮上させ、静かに味わったことで、当時の自分の辛かった感覚も解放できたような気がしています。


また、真実に向き合うということや、知ろうと歩み寄ることの大切さも感じました。

震災から7年を経過しようという今、被災者の皆さんが恐れているのは風化していくことだと言います。
 
東日本大震災に関する講演活動を行っている方々がぶち当たるのは、「無関心」の壁だと書いてありました。
 
被災地のこと、被災された方々、失われた命のことを決して忘れずにいることは、支援のひとつだと痛感しました。

そして、誰もの心の中にそれぞれの「あの日からの物語」があるはずです。
無数の物語があり、そこには無数の思いや感情が貼り付いています。

支える側は、自分の物語と同じように、誰かの物語も大切に尊重していく姿勢が問われます。
ものの見方や意味付けは人それぞれだという視点を忘れず、複層的に捉えて受容することが本当に大切だと思います。

(書いた人:穴澤由紀)

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