幸せになるのは裏切り?無意識にはびこるジョイ・ギルトシンドローム

あなゆきnote

「喪に服す」とは、どういうことか。

身近な存在を亡くしたばかりの人はどんな風に過ごしているのでしょうか。
今回は「喪に服す」ということを考えてみたいと思います。

 

映画「風と共に去りぬ」で、主人公のスカーレット・オハラが、モーニングドレス(喪服)のままで、レッドバトラーとダンスをするシーンがあります。

17歳にして未亡人になり、喪に服すために家に籠っていましたが、本当は夫のことも愛していなかったし、若くてエネルギーが有り余っている彼女は、社交の場に戻りたくてウズウズしていたんですね。

それを見抜いたレッドバトラーは彼女をダンスの相手に指名します。
周囲は非難しましたが、スカーレットはそのオファーを受けて、喪服でダンスフロアに立つのです。 

映画「風と共に去りぬ」より

「誰がなんと思おうと今夜は踊りまくるわ。リンカーンとだって」と呟いた彼女は、周囲から冷ややかに見られてしまいます。

 

「喪中の1年間は、喪服を着続け、黒いヴェールをかけて、家の中でおとなしくしていなければいけない」

「後家の身で、社交に出たり、ほかの男性と踊るなんてもってのほか」

そのような世間の暗黙のルールがあっても、彼女は自分のしたいように振る舞いました。

南北戦争の時代に、こんなに奔放で正直に生きたスカーレットは本当にたくましいのですが、そもそも、片思いの彼に当てつけをしたくて、勢いで結婚してしまった相手だったので、きっと死別の悲しみも少なかったのでしょう。

いずれにせよ、「喪中の人間は楽しんだり、人前で笑ったりしてはいけない」という考え方が一般的だった中で、スカーレットは、世間の目は気にせず、湧き上がってくる自分の気持ちのままに素直に生きたのです。

喪服のままで未婚の男性とダンスを踊る、という姿は、世間のタブーと彼女の生き方が象徴的に対比されて描かれていました。 
 

遺族はひっそりと過ごすもの、と決めつけていないだろうか?

喪に服すということについて、現代の私たち日本人はどんな考え方をしているでしょうか?

時代や国が変わっても、私たちが持つ感情は、実のところ、それほど変わらないかもしれません。

「死別したばかりの人は悲しいはずだから、ひっそりと静かに過ごしているもの」というようなイメージを持っていて、遺族に対してそういう振る舞いを無意識に求めているという部分はないでしょうか?

たとえば、夫を亡くした直後に、夜な夜な、派手に遊び歩いている女性タレントがいたとしたら、その報道を見た世間は怪訝な視線を向けて、バッシングするかもしれません。

でも、その女性がどういう気持ちから遊び歩いているのか、外からは誰も分からないはずなのです。

スカーレットのように、形だけの夫婦で故人を愛していなかったとしたら、心理的なダメージを負っていないのかもしれないですが、反対に、心から愛していたとしたら?


一見タブーと見えるその行動は、グリーフ真っ只中であるがゆえなのかもしれないのです。

’’ものすごく寂しくて、孤独で、特に思い出がたくさんある我が家で夜を迎えることが辛いから、飛び歩いているのかもしれない’’

’’止むことのない混乱の中で、眠れない日が続き、一人でいると自殺願望まで出てきてしまう。どうせ眠れないなら夜に行動して気を紛らわそうと思っているのかもしれない’’

もしそうだったとしたら、世間は、彼女を非難しようとはせず、むしろ同情や理解が寄せられるかもしれません。
 

思い込みで判断せずに、そういう想像力を働かせることができるかどうかというのは、周囲の人ができるサポートのひとつです。
 

表面的な情報だけに囚われたり、固定観念にこだわることは危険なことです。

奇異な目を向けたり、勝手なジャッジしてしまうことで、さらにその人を追い込んでいってしまう可能性もあるからです。

グリーフの状態にある時は、思考も行動も通常時とは異なり、自分でもコントロールできなくなっていることがあります。

無力感や疲労感でいっぱいになり何もやる気が起きなくなる人もいれば、過活動の方向に向かって悲しみを遠ざけようとする人もいます。

どんな状態になってもおかしくないし、グリーフの症状として当たり前なのです。

周囲にいる私達が出来ることは、ちょっと変な行動や様子があっても、非難する気持ちで決めつけないこと、そして、背景にある思いに心を寄せて、グリーフの症状としてはありえることなんだと受け入れていくことです。

もし、世間が「喪中の人は、楽しんではいけない、幸せになっていたらおかしい」という思い込みに満ちていたら、それは、遺族に対して「ずっと落ち込んでいなさい」というメッセージになってしまいます。

幸せになることに罪悪感を持つ「ジョイ・ギルトシンドローム」

故人を愛し続けている証拠として、悲しみや苦しみを手放さないでおこうとする無意識の表現を選ぶ人がいます。
 
 

故人に対する裏切りのような気がして、自分が幸せになること、笑顔でいることに罪悪感を持つ……それを「ジョイ・ギルトシンドローム」と言います。
 

いつまでも気持ちが沈んで、暗い闇の中にいる必要はないのに、元気になっていく自分を許せないと思ってしまう人もいるのです。
 

この罪悪感があると、元気になるプロセスにブレーキがかかってしまいます。
 

愛する人が亡くなって悲しみの日々を過ごしていても、心安らぐ幸せな瞬間や美しい景色やに感動したり、楽しい気分を味わうことだって当然あっていいはずです。
 

少なくとも、周囲からジョイ・ギルトシンドロームを押し付けることのないようにしないといけないですね。
 

周囲がおおらかさと思慮深さを持って、グリーフから表出するさまざまな表現を受け入れていくことで、ご遺族の心は溶けやすくなります。
 

無意識な決めつけが自分の中にないかどうか、それがあることで誰かを抑制したり、傷つける一言に繋がっていないだろうか、サポートする側は点検する心を持ちましょう。

(書いた人:グリーフサポートバディ 穴澤由紀)

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