突然ですが、皆さんは誰かに弔辞を詠んだことはありますか?
私は、自分自身に向けて弔辞を書いてみたことがあります。
東京・住吉にある「ブルーオーシャンカフェ」というところで定期的に行われている入棺体験をするワークショップに参加した時のことです。
「棺に入る」体験を通して自分の人生の幕引きを考えるという、なかなかニッチな企画なのですが、毎回ほぼ満員になるほど人気なのだそうです。
死について考えることはタブーではなく、むしろより良く生きるために必要なことだと私は考えていますが、もしかしたら同じように考える人が多いのかもしれません。
ワークショップでは、入棺体験の前に、まず自分とは何者なのか、どう生きたいのか、そんな自己探求のために自分に向けての弔辞を書いていく時間が設けられました。
誰からの弔辞とするかは自由で、亡くなられたご家族が天国から詠んでくれるという弔辞でもいいし、現在はまだ出逢っていない未来の旦那さんからとか、言葉の話せないペットからの弔辞でもよいとのことでした。
私は、夫からの弔辞という設定で書くことにしました。
彼から見た私はいったいどんな人物に映っているのか。
結婚相手として選んで良かったのか、それとも失敗したと思っているのか。
どんなエピソードが記憶に残っているのか。
長年一緒に歩んだパートナーに対して、最期にどんな言葉をかけてくれるのだろうか。
毎日一緒にいても、こういったことを話す機会はほとんどないし、設定としては何十年か先の未来なので、夫の心情は想像で書くしかありません。
イメージの中で夫になりきり、彼の視点から私という人間を見てみると、決して良妻とは言えないなぁと思わず苦笑してしまいました。
残念ながら、夫は私に対して「内助の功で支え続けてくれました」とか「尽くし続けてくれました」なんて表現はしないと思います。
「ユニークで一緒にいると面白い」とか「天真爛漫な人」というのは、今も言われることなので、それを弔辞にしたためてみました。
実際に棺の中で目を閉じて横たわった状態で、弔辞の声(ファシリテーターの方が詠みあげてくれる)に耳を澄ませていると、自分で書いた内容なのに、なんだか感極まってきました。
いつか人生を終えて肉体を脱いでいく時、私を良く知っている人から、心のこもった言葉をもらえるとしたら幸せだろうなと感じたのです。
「良く生きました!」と称賛の言葉をもらえたら、人生最期にもらえる最高のプレゼントになるのではないでしょうか。
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ジーエスアイの「葬儀プランニングコース」では、追悼の言葉や弔辞のもたらす価値についてもしっかりと学んでいきます。
このセミナーに参加された方からは、意義深い葬儀を行うために、いかに弔辞が大切だったのか初めて気づいた、というご感想をたくさんいただきます。
また、葬送をプロデュースするうえで参考になる書籍や海外での事例なども惜しみなく教えてもらえるのですが、この本もセミナーの中で講師の橋爪からお勧めされた1冊です。
「心に感じて読みたい 送る言葉」(創英社/三省堂書店)
作家、文化人、映画・芸能人、政治家・経済人、スポーツ選手等、著名人に向けての弔辞が紹介されており、齋藤先生の分かりやすい解説によって、より深く味わえるように構成されています。
例えば、作家の菊池寛さんが親友だった芥川龍之介さんに向けて詠んだ弔辞は、自死であった芥川さんに向けて、「君が自分で選んで決めた死に対して自分たちは何が言えるというのだろうか」というところから始まります。(原文は文語体です)
自ら死を選んだ人に語り掛ける言葉を選ぶのは難しかったのではないかと思うのですが、故人を悼む気持ちが全面に出ていて大変美しい弔文です。
全文はぜひ本書で味わっていただきたいと思います。
他にも、黒澤明さんから三船敏郎さんへ、黒柳徹子さんが森光子さんへ、谷川俊太郎さんから武内満さんへなど、著名人の弔辞が数多く紹介されています。
それぞれの個性が際立ち、両者の絆の深さを感じさせる弔辞ばかりです。
齋藤先生は、弔辞が魅力的で感動的な理由として、こう語っています。
「弔辞の言葉は特別だからです。弔辞には、気持ちがこもっています。死と向き合うことの緊張感、死者の魂に寄り添うことへの責任感、故人を失った悲しみ、大事にしてもらったことへの感謝の気持ち、そういった様々な感情が湧き上がるなかで書くから特別な力が宿ります」
弔辞というのは、前もって準備されることはほとんどないでしょう。
おそらくは、葬儀までの限られた時間の中で、故人との思い出をたぐり寄せ、生前の眼差しや声を思い起こし、どんな生き様だったのか、自分にとってどんな人だったのか、それらをぎゅっと凝縮して送る言葉としてしたためていくのだと思います。
亡くなった直後は、大切な人の死をどう位置付けていけばいいのか、心の中でなかなか定まらないものです。
大切な人を失って深い悲しみに襲われ、死を受け止めきれないでいる時、人間は祀り事に変えてきました。
葬儀という祀り事です。
その祀り事の中心の役割を果たすものが言葉です。
弔辞を作っていく作業自体が、その死を受け止めていくものであり、大切な人がいなくなるこの先も自分は生きていかなくてはいけない、その覚悟を決める大切な時間になるのではないでしょうか。
そして、作り上げた弔辞は、ご遺族や参列者の代表として詠みあげられていきます。
弔辞を聴きながら、それぞれの人の胸の中で、故人の存在が大きく広がっていくはずです。
「若い頃は色々苦労をしていたんだな」「そんな一面もあったのか」などと、故人の新たな部分を知る機会にもなるかもしれませんし、「そうそう、あの人は私にとってこういう役割をしてくれたんだ」と改めて存在の大きさを噛みしめることもあるでしょう。
良い弔辞は、死に対する悲しみは悲しみとして、故人の人生を深く受け止め、理解していくことができる、そんな力を持っていると思います。
それぞれの心の中にその人のアイデンティティがすっぽりと収まり、死の現実を受け止め、その位置づけを整理できる役割があるのではないでしょうか。
著書の中で、齋藤先生は弔辞のことを「死の悲しみを生の希望に帰るための言葉」だと書いています。
日本には言霊信仰がありますが、まさに弔辞には言霊のパワーが込められていると思います。
弔辞が詠まれている時間、その場に居合わせる人達がひとつとなって故人のことに想いを寄せることで、大きな感情のエネルギーの集積が生まれます。
集まったエネルギーは、故人の終わったばかりの人生すべてを光で包むような気がしてなりません。
そして見送る側にとっては、弔辞に宿る霊力が一種の癒しとなって、胸に染み入っていくのではないでしょうか。
大切な人の死は変えようのない事実でも、その受け止め方が少し変わってくるかもしれません。
昨今は簡素化された葬儀が増えてきて、弔辞を省略されることもあると聞きますが、古くから受け継がれてきたことには、やはり意味がありますね。
弔辞のもたらす価値について改めて考えていくことは、葬儀全体の質を高めていくことになるのではないでしょうか。
(書いた人:穴澤由紀)
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◆文中で紹介したブルーオーシャンカフェさんでの入棺体験のワークショップは定期的に行われています。代表の村田ますみさんはジーエスアイ認定のグリーフサポートバディでもいらっしゃいます。
ご興味のある方はこちらをご覧ください。
<自分を見つめる入棺体験~棺の中で耳をすませば~>
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