アートに見つけるグリーフ~東山魁夷展で感じたこと~

あなゆきnote

こんにちは。
ジーエスアイ スタッフの穴澤由紀です。

絵の見方も分かっていないし、教養もないのですが、なぜか美術館が大好きです。

まず美術館というのは、おおかたにおいて、箱(建築)も魅力的なことが多いですね。
 
有名な建築家の作品であることも多いですし、権威的だったり、自然やその土地と融合した設計だったり……建物を味わうだけでも非日常の楽しみがあります。


音声ガイドをつけて音楽や美しいナレーションを聞きながら入場すると、美しい絵が整然と飾られている空間がわーっと広がり、そこはもう完全に別世界。

今日は、好きなだけ絵と戯れていていいんだぁ、そう思うとワクワクしてくるのです。

素晴らしい美術展は、導線も、スクリプトも、温度管理も、照明も練りに練って組まれたんだろうなぁというこだわりが感じられ、この美術展が開催されるまでに、相当な期間とエネルギーがかけられていることは一目瞭然です。


ひとつの美術展に関わっている人達や、絵を観に来ているお客さんたちが抱いている熱い想いが伝わってきます。
 
その想いというのはどんなものかというと、一言で言えば、「画家や作品に対して愛と尊敬の念」ではないでしょうか。


絵を鑑賞する行為が好き、というよりは、私はその場に流れている空気みたいなものを体感することが好きなのかもしれませんね。


変かもしれませんが、私の中では、美術館は、神社仏閣と似ているなぁと感じる時があって、そのくらい神聖さや安らぎを感じることが出来る場所です。(あまりに混雑している時はそんな気分に浸れませんが)


さて、前置きが長くなりましたが、私なりの「アートに見つけるグリーフ」について書いてみたいと思います。
 
最初にも言いましたが、私はアートについてちゃんと勉強したこともないですし、無教養な人間です。
なので、これから書くことは、そんな私が感じる勝手な絵の見方に過ぎないということをお含みおきをいただければと思います。
 

私なりの美術展を楽しむコツは、出来るだけ前知識を持たずに赴くことです。
 
時代背景や画家の背景、技法みたいなことについて、あえて詳しく知ろうとしないまま、目の前の絵を純粋な気持ちで観ていった方が「感じる」ことが出来るからです。

 
しかも「じっくり」観ていく、というよりは、「さらり」と観ていきます。
1枚1枚にエネルギーをかけすぎると、美術展というのはえらく疲れるからです。
そのままピンと来ないで終わってしまうこともあるのですが、たまに衝撃的な1枚に出逢うことがあります。

 
強烈に魅かれるというか、身体がこの絵の前に留まろうとするようなすごい吸引力を放っている絵に出会うことがあるんです。

 
そんな衝撃を受けた時は、その絵のことや画家のことに対する情報を集めていきます。
この作品は何歳の時の作品で、その前後にどんな出来事があったんだろうか、とか。
どんな時代で、どんな暮らしをしていたんだろうか、とか、そういうことが知りたくてたまらなくなるのです。

 
絵には、その時の画家の心象が現れているはずです。
その部分を読み取っていくことで、なぜこの絵に強烈に魅かれたのか、そのわけに近づける気がしています。


巨匠だとか大家だとかと言われている画家に、壮絶な人生を送っている人はとても多いです。
ゴッホもピカソもモネも、別れや挫折が多い人生を歩んでいます。

皆さん、画家としては大成して歴史に名を残していますが、その実、生きている時は相当大変だったでしょうねぇ。


安泰で盤石な人生を歩みながら大成した画家は? と言われてもあんまり思い浮かばないですね。
ということは、画家自身が味わった喪失や逆境体験が屋台骨となって作品が構成されていった、と考えるのはいささか乱暴すぎるでしょうか。


 
先日は「生誕110年 東山魁夷展」を観に行きました。
絵の前に立つだけで、胸の奥からふわっと温かいものがこみ上げてくるような絵ばかりでしたが、特に《残照》という絵に強く魅かれました。


風景画を見て、涙をこらえるほどの衝撃を得たのは人生2回目のことでした。
20代の頃、イギリスに旅行した際、ナショナルギャラリーにあるモネの《睡蓮》を見た時に全身に走った衝撃と、とても良く似ていました。

東山画伯もモネ画伯も、若い頃から愛する人を次々と失い、大きな喪失体験を受け入れながら、人生を全うした人物です。

東山画伯は、終戦前後に相次いで母と兄弟を失い、家族は妻だけしか残りませんでした。
戦争に召集されていた時は、死と隣り合わせの毎日だったでしょうし、戦争で家も失いました。
戦後、また絵を描き始めましたが、日展にも落選し、失意のどん底にいた時期があったようです。

時代的に多くの人が同じような状況であったかもしれませんが、妻以外のすべてを失った行き場のない悲しみや苦しみはいかほどであったかと思うと、筆舌しがたいものがあります。

そのような時に、千葉県の鹿野山に登った際、夕暮れ時の山々が刻々と色を変え、夕陽を浴びて赤く輝く瞬間をしばし見入って、重くのしかかっていた不幸や悲しみから次第に解き放たれていったそうです。
その感動を大構図に絵にしたのが、この《残照》という作品です。

(独立行政法人国立美術館のホームページよりお借りしました

この絵は、日展の特選に選ばれ、政府のお買い上げになりました。
東山画伯が風景を生涯のテーマとすることを決意した、いわば風景画家東山魁夷の誕生となった作品です。


東山画伯は、絵を描くことは「祈り」だと言っています。
「肉親のすべてを失って、ようやく、画家としての私は生まれ出た。戦争の終わる間際に死の際から望見して、風景に眼を開いた」
「私も暗黒と悲しみを胸深く蔵してはいるが、苦悩をあからさまに人に示したことはない。しかし、暗黒と苦悩を持つ者は、魂の浄福と平安を祈り希う者でもある」


彼は、絵を描くために旅を続けていきましたが、その人生はグリーフとの折り合いをつけていく旅でもあったのではないでしょうか。


このように、期せずして、芸術家の創作活動とグリーフワークが対になって進んでいくことは多いのではないかと思っています。

グリーフワークとは、大切な存在を失った悲しみや苦しみを表現することで、喪失を徐々に受け入れて折り合いをつけていく過程のことを言います。「喪の作業」と言われることもあります。


安全な形で深い心模様を表現していくことで、何かしらの解放や癒しが必ずあるはずです。


おそらくは、東山画伯の包含していた深い悲しみも絵に反映されていったことで、内的な変容は起きていたのではないでしょうか。
 
それが観る者にも伝わり、深いやすらぎと感動を与えてくれるのかもしれません。

「この人の人生に喪失体験がなかったら、果たして、こんなに素晴らしい作品が生まれたのだろうか」
そんな思いを抱きながら、1点1点味わっていきました。

喪失体験が素晴らしい芸術に昇華していくのだとすれば、やはり喪失にはギフトの側面があるということです。
 


そして、このようなことは芸術家に限ったことではなくて、誰もがグリーフワークを経て、喪失から人生のギフトを見つけていくことはできるのだと私は信じています。
 

閉じ込めていた悲嘆の思いや感情を素直に表出していいのだ、と自分に許可が出せた時、何かにチャレンジしたくなったり、行動してみたくなることが増えてくるかもしれません。

特別なことではなくて、ふとやってみようかなというレベルのもの。

例えば、

  • ちょっと凝った料理をしてみたくなった
  • 気持ちを文章で綴ってみたくなった
  • 自然の中で過ごしたくなった
  • 身体を思い切り動かしたくなった
  • メイクやファッションを変えて、違う自分を見てみたくなった

こういうふとした欲求こそが、グリーフワークを押し進めてくれるような気がします。
 
内的なものを表出するための表現方法であって、外の世界と繋がるコミュニケーションにもなるからです。
そして、その一歩が、喪失の中にあるギフトに気付く道へと続いていくかもしれません。

 
もし、あなたのまわりに、深い悲しみを抱きふさぎ込んでいる人がいたら、そのプロセスに優しい眼差しを向けてあげてほしいのです。

 
心の窓を閉じた状態で、羽根を休ませている時間があってもいいですし、
ふと窓を開け放ち、外の世界へと動きたくなる欲求が、ある日突然やってきてもおかしくないのです。

 
その人のタイミングで、その人にしっくりくる行為で、悲しみとの折り合いがついていくと信じること。
そんな気持ちで見守ることができたら、きっと想いが相手にも通じると思います。

(書いた人:穴澤由紀)

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