グリーフサポートバディの穴澤です。
コロナ、コロナと騒がれるようになって、早1年。
ということは、大勢の人が集う場所を避けたり、ソーシャルディスタンスを意識しながら誰かと話すような窮屈な生活をはじめて、もうすぐ1年になるんですね。
このコロナ禍と言われる非常事態において、大切な人を失うという大きな喪失体験に遭遇している人もいます。
愛する人との死別は、ただでさえ苦しく辛いことですが、この1年で死別を経験された方々にとっては、コロナ禍だからこその特別な苦悩があったのではないかと思います。
感染症対策で世の中の生活様式やルールが大きく変わってしまい、それは看取りや葬儀などのお別れの場においても影響は及んでいます。
’’入院中、面会ができないままに家族が亡くなった。本当は、残された時間をもっと一緒に過ごしたかった’’
’’お世話になった人の葬儀に参列したかったが、感染防止のため身内だけでの家族葬にすると言われ、最期のお別れができなかった’’
コロナの影響によって、「本来だったら出来たことが叶わなかった」という経験をしている人は少なくないはずです。
そして、そのような満たされなかった思い、後悔、罪悪感といったものが、グリーフの反応を強めてしまい、体調不良や抑うつ傾向に及んでいる人も見受けられます。
感染防止を最優先していくなかで、大切な人を亡くした人の心が置き去りにされてしまっている、そんな危惧さえ覚えます。
死を受け入れ、心の整理をしていくための「別れの時間」を持つことを飛ばして、大切な人がいなくなってしまった世界を歩んでいくことは出来ないのに、心ゆくまで「別れの時間」を味わえなかった、そんなケースもあるのです。
ある事例をご紹介したいと思います。
先日ご相談にみえた方は、東京在住の30代の女性、A子さん。新潟県から上京し、東京で介護業界で働いています。
カウンセリングには、「最近、仕事のポカミスが多くなった。やる気も出ない。集中力がない気がするし、人に迷惑ばかりかけていると思うと自己嫌悪になる」というお悩みでいらっしゃいました。
睡眠不足もあり、体調も優れない日が多いそうです。
最近の変化について教えていただくと、A子さんは、昨年9月にお父様を亡くされていました。
ある日突然、自宅で倒れて、救急車で運ばれ緊急手術も受けましたが、治療の甲斐なくそのまま意識は戻らなかったそうです。
「お父さんが危篤だ」と母親から電話がきた時には、夜勤の仕事にあたっていたところでした。最低限のスタッフしかおらず、交代もできなかったため、この勤務が終わったらすぐに駆け付けよう、と思っていたそうです。
しかし、その朝方にお父さんは亡くなられてしまいました。
コロナの影響で、ゴールデンウイークにもお盆にも里帰りができないままで、最後にお父さんに会ったのはお正月。
年齢なりの老化は見受けられたものの、健康上の大きな問題はなく、いつもの元気な父親の姿が目に焼き付いています。
いきなりの訃報に驚くばかりで、「お父さんが亡くなったなんてとても信じられない」という思いしかなかったそうです。
当然、父親の葬儀に参列するつもりで、会社へ休暇をもらう手続きをし、帰省のために荷物をまとめていたところ、母親から思ってもみなかったことを言われたのです。
それは、「葬儀への参列はあきらめて」という言葉でした。
A子さんの実家は、山間部にあり、普段から外の地域からの人の出入りが少ないところで、近所の人たちは、感染拡大地域からの人の流入を極端に警戒しているそうです。
「東京から人が来るとなったらこのあたりの人は心配するし、近所の人に何を言われるかわからない。だから悪いけど、葬儀には出てもらうわけにいかない」
実の娘なのに、葬儀に出られないなんて。
A子さんは動揺しました。
ひとり東京にいるA子さんからすれば、お父さんに直接お別れが言いたいし、家族と悲しみを分かち合いたいという思いが募ります。
A子さんはどうしても帰りたい気持ちを母親に伝え、話し合った末に、葬儀には参列せずに、その前にこっそり帰省して、個別にお父さんとお別れをすることになりました。
人の目を避けるためにあえて夕方の時間帯を選んで帰省し、自宅に安置されているお父さんとひっそりとお会いになったそうです。
自宅のリビングで安置されている父親のそばに座り、しばらくお顔を眺めながら、ふたりきりで過ごしました。
「お父さん、今までありがとう」と感謝の言葉を伝えることもできたし、手を握ることもできた。母親や弟とも言葉を交わしていくことで、お父さんが亡くなったのだという実感が湧いてきたそうです。
その日、A子さんは、わずか数時間の滞在で故郷を後にしました。
「母親は、最寄りの駅まで車で私を送ってくれたのですが、周囲をきょろきょろと見て、まるで犯罪者をかくまうようなふるまいでした。その後、小規模ながらお通夜と葬儀が執り行われ、その写真を弟が送ってくれましたが、地元に住む人しか写っていませんでしたね。私が帰省したことは、同居していた母と弟しか知りません」
「本当は葬儀にも参列されたかったですよね」と伺うと
「もちろん家族としてちゃんと関わりたかったです。でも、感染者が多く出ている東京に住んでいる人間を避けたい気持ちもわかります。
幸い、私が帰省したあとに身近で感染者が出たというようなこともなかったのですが、しばらくは、私が無症状の保菌者で誰かにうつしてしまっていたらどうしようとヒヤヒヤしていました」
死別の悲しみだけでなく、帰省したことで感染リスクを広げたかもしれないという不安感もあり、当時は複雑な思いを抱えていらっしゃったそうです。
その後、A子さんは、なんとなく調子が出ない日が続くようになりました。
お父さんのことをずっと考えてしまうそうです。
「父親の最期の姿を見て、死んじゃったんだな、とは頭ではわかるんですが、心はまだ受け入れていない感じです。全然親孝行しないうちに逝っちゃった、と思うと後悔や罪悪感があります。離れて生活していても、もっとできることがあったんじゃないかって。あとは、孤立感も感じます。故郷は、いつでも帰っていい場所だって思っていたから」
A子さんは、後悔や罪悪感、孤立感、そういった苦しい感情にさいなまれながらも、誰かと分かち合うこともできず、東京で働き続けながら、日常生活を回すことで精一杯になっていました。
もし、コロナの問題がなかったら、通夜葬儀の儀式にも参列し、周囲の方々と思い出を分かち合い、もしかしたら数日は忌引き休暇をとって故郷で心と体を休ませる時間がとれたかもしれません。
経験できたはずの「別れの時間」をコロナによって奪われてしまいました。
感染拡大防止の観点からみれば、葬儀に参加しないことは正しいことだったのかもしれませんが、一方で、死別の悲しみとの折り合いをつけていくためのプロセスを考えるとA子さんが受けた損失は大きいと思うのです。
葬儀の時間は、亡くなった人との心の対話を行い、周りの人からのサポートを受けることができる大切な機会だからです。
グリーフを勉強すると、遺された人たちが安全にその後の人生を過ごすためには、いかに「別れの時間」をきちんと取ることが大切であるかを痛感します。
人類は、何千年もの間、いえ、もしかしたら何万年も前から葬儀を執り行っています。
紀元前6万年のネアンデルタール人の埋葬場所で何らかの形の儀式もしくは供え物であることを示す動物の骨や花のかけらがご遺体のそばから発見されています。
いかなる文明においても葬儀が執り行われてきたのは、儀式が、喪失の痛みを癒し、折り合いをつけていく助けになっている証だと言っていいでしょう。
葬儀に参列できなかったA子さんにとって、まだ「お別れの時間」を十分にとれていないのかもしれないなと思いました。
カウンセリングでは、お父さんがどんな方だったのか、お父さんとの楽しかった思い出について、思うままに語っていただきました。
懐かしい記憶が蘇り、お父さんがA子さんにどれだけの幸せをもたらしてくれたのか、お互いの時間がどれだけ価値のあるものだったのか、改めて心の中で整理するひとときになったようです。
こういった振り返りの時間をしっかりと取っていくことも、故人と愛の絆でずっと繋がり続けていることを確認でき、グリーフの状態を緩和していくきっかけになります。
コロナの影響で、思うように見送れなかったという経験をされているご遺族の中には、自分を責めていたり、後悔や憤りを感じている人も多くいます。
ご遺族のサポートをしている方は、そんな視点をもって接していただくと良いかもしれません。
(書いた人:グリーフサポートバディ、心理セラピスト 穴澤由紀)
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