50年住んだ家を失うとはどういうことなのか、想像してみてください

あなゆきnote

少し前の話になりますが、両親が約50年間住み続けた家を売却し、別の地域へ引っ越しました。

両親にしてみれば、本当は住み慣れた家で一生を過ごしたかったのかもしれません。

しかし、家の老朽化に伴い、いろいろと検討しなければいけないことが出てきて、余生の過ごし方を考えたとき、夫婦で元気でいられている今のうちに長男の近くに越しておいた方がいいだろう、ということになったのです。

住まいを変える、ということも喪失体験のひとつであり、グリーフの状態を引き起こしやすい出来事のひとつです。

両親の場合、なにせ50年間も住んでいた家ですからね。

今回の引っ越しが決まった時、ふたりにとって精神的にも体力的にも非常にストレスがかかることになるであろうと、娘として危惧しました。

でもいつかは決断しなくてはいけなかったし、これからをよりよく過ごすための答えであったので、一時的には痛みが伴うかもしれないけれど、できるだけ負担をかけずに乗り越えられたらいいなという気持ちでした。

幸い、売却も新しい住まいもスムーズに決まり、トントン拍子に引っ越し作業の段階まで進んだのですが、この引っ越し準備こそが一番大変な作業になってしまいました。
 
なにしろ、思い出という手垢がつきまくりすぎているのです。

お見合いして結婚生活をスタートし、私と弟が生まれ、子育てと並行しながら祖母の介護をし、父は自営だったので家でも仕事をし、そのうち子供たちが巣立っていって、また夫婦ふたりの生活に戻って……という人生の膨大な時間を過ごしてきた場所ですから、とにかくあちらこちらに思い出が張り付いています。家の内装は父がすべてしてきて、母は庭の手入れが趣味でした。

人生をともにしてきたこの家は建て壊され、土地も他の人の手に渡ってしまう……それを前提としながらの引っ越しは、頭では納得はしていても、やはり両親の胸には喪失感があったに違いありません。

長く住んだ家を手放す時というのは、家と一緒にどんなものを失っていくのでしょうか。

それはその人でないと分からない、とても個人的なことばかりのはずですが、一言で言うと「その人の日常を作ってきたものとの別れ」が伴います。
 
たとえば、お茶を飲みながら四方山話をしていた近所の人とか、習い事の先生や仲間とか、何十年も通っているスーパーとか、一家でお世話になっていた小さなクリニックとか、そういう今までの生活に当たり前のように根付いていた人やモノや時間が、自分の日常生活から消えていくんです。 
 
人によっては、「役割の喪失」というものもあるかもしれません。
町内会の中心的なメンバーだった、とか、PTA活動で役割を果たしてきた、とか、その地域で役割を持っていて、引っ越しとともにその役割も果たせなくなる……そんな喪失もあります。

グリーフサポートセミナーの中で、講師の橋爪が教えてくれた言葉で、印象に残っている一言があります。
 
「私達は、自分を鏡で映しながら更新している」

鏡の向こうには自分と繋がっている世界が広がっています。
人と人とのかかわりがあるからこそ、「自分らしさ」を見出すのです。
鏡に映し出されている世界を見ながら、私達は自分を知り、アイデンティティを確かめていく作業を知らず知らずに行っている、ということです。

大きな喪失体験は、その鏡を失うようなものです。
鏡を失うと、世界との繋がりが見えないので、自分の存在意義が分かりづらくなります。
 
たとえば、地域の活動で何かの役割を担っていて、周囲から期待されているのを実感してきたとか、近所の人に会った時に「この間、おすそ分けしてもらったお料理、美味しかったわよ」と感謝されたとか、そんなやりとりひとつにも、地域の中での自分の存在がしっかり見えていますよね。
 
その地域を離れるということは、そのようなやり取りも失われるということなので、それまで感じられていた自己価値観も揺らぎやすいんです。
 
グリーフの状態にいると、自分が何者であるのか、自分らしさって何だろうか、そんな迷いも感じやすいと言われています。

そう考えると、「引っ越し」というのは、家そのものだけではなく、付随するさまざまなものを喪失することであり、時に心と身体に大きな影響を与えることがお分かりいただけると思います。
 
特に、両親の場合、結婚後の人生と家の歴史が一体化していました。
ということは、家というものが、自分たちを形作ってきた一部だということです。
 
その家が壊されてなくなってしまうというのは、まるで自分のパーツをもぎとられるような気持ちが湧いてきてもおかしくないんですよね。

 
もちろん、納得して出した答えであって、引っ越し先で新たな楽しみを見出せるかもしれないという未来への期待感ももちろんあるのだけれども、やはり喪失感からの寂しさや不安の方が大きかったと思います。

私にとっても、生家であり、生まれてから29歳で結婚するまで過ごした家ですから、もちろん喪失の痛みが伴います。

共感できる立場として、両親の一番の理解者でいたいし、この局面をスムーズに折り合えるように伴走したいという気持ちになりました。

どう支えていくのか。

まず、私が出来ることは「一緒に受容していく」ということだろう、と思いました。
というか、それしかないだろうと思いました。

両親とともにいて、現実から逃げずに、この心の痛みを受け入れていくということです。

「50年住んだ家が消える」
 
その事実は事実として受け止め、喪失感とともに湧いてくるさまざまな感情を分かち合っていくこと。
それが私が出来るサポートかなと考えたのです。

引っ越しの手伝いをしていると、出てくるわ、出てくるわ。
思い出の品々、もう使わないのにずっと取ってあったモノたち、いつかは使うだろうとしまい込んでいた未使用品……。
もったいない精神からモノを捨てられないタチの両親は、ものすごい量のモノを溜めこんでいました。

二人は私の前で決して寂しいとか悲しいとかという感情の言葉は言わなかったけれど、ひとつひとつのモノと対峙し、取捨選択しようとすると非常に時間がかかるんです。捨てるのか、新居に持っていくのかスパッと決められない。

その様子を見ていると、いろいろな思いが去来しているのだろうなぁということが嫌でも伝わってきます。

私は、時間が許す限り、実家に行っては作業を手伝い、懐かしいものを一緒に整理をしながら、思い出話にも花を咲かせていきました。

うんざりするくらいの膨大な物量がありましたが、単に荷物の整理をするのではなく、思い出を集めるような時間にしようという気持ちでした。

それが心の整理に繋がるだろうと思ったのです。

現実を受け止めることが出来ていないと、思い出として振り返っていくことが出来ません。
 
だからこそ、まずは一緒に現実をしっかり受け止めることが大切になります。
 
そのうえで思い出をひとつひとつ集めて、「あの時は笑ったね」「この時は大変だったね」と分かち合いながら、改めてキレイな箱にパッケージ化していくような、そんな時間を過ごしました。

 
古いアルバムには、新築の時の外観写真が残されていました。
 
現在は住宅街になっていますが、当時は我が家の周りに何もなく一面レンゲ畑が広がっていました。

なんてことない外観写真ですが、新婚生活をスタートさせた頃の両親の若々しいエネルギーが伝わってきて、なんだか印象に残る1枚でした。

 
引っ越し業者さんが荷物を運んでくれた後、私はがらんとした部屋の壁を撫でながら、家にこう語りかけました。
 
「我が家はここから始まったんだね。
50年もの間、ここで泣いたり笑ったり、ときには喧嘩したり、動物も飼ったし、おばあちゃんの介護や葬儀も家でやったね。繰り広げられた家族ドラマを静かに見守ってくれてありがとう」
 
引っ越しは、時間もエネルギーも費やして本当に疲れたけれど、終わってみたら清々しさもあって、家に対して感謝の気持ちが湧いてきたのです。

 
こうして両親も無事に新しい家に転居し、新生活をスタートさせました。
 
これで一件落着……と思っていたのですが、少しすると他にすべきことがあるような気がしてモヤモヤしてきました。
なんとなく、未完のことがあるような気がして落ち着かないんです。


そこで、私は夫と二人で実家を見に行きました。
もうすでに解体作業が行われており、家の半分くらいが壊され、柱がむき出しになっていて、シースルー状態になっていました。

覚悟はしていたけれど、生まれ育った建物が壊されていくのを目の当たりにするのは、やはりショックでした。

ふと庭の端に目を向けると、椿の樹がしぶとく鎮座していました。

「そうだ!」
私が感じていた未完の思いはこの椿だと分かりました。

両親が旅行先で買ってきた苗木が、私や弟が成長していくのと時を同じくして、そこそこ立派な樹になっていったのです。
 
毎年キレイな花をつけて、私達を楽しませてくれていました。

最初はこの椿も新しい住まいに植え替えしようと話していたのですが、他の作業が思いのほか大変だったので、この椿はあきらめることにして、置き去りにしていったのです。

一度はそれで納得していたのですが、改めてこの椿の樹を眺めていると、父や母は本当に良かったんだろうか、という気持ちになってきました。
 
あと数日のうちには、大きな重機で根こそぎ引き抜かれて処分されてしまうのだろうな……そう思ったら、なんだか無性にに悲しくなってきたのです。

なんとかこの椿の命を繋げられないだろうか。
そこで、不動産会社の担当の方に頼んで、椿を引き取らせてもらうことにしました。
 
もう契約が済み、解体も入っている状況なのに、快く調整してくださって、翌日には敷地内に入らせてもらえることになりました。

私は植樹の知識などまるでないのですが、とりあえず思いついたシャベルや鎌などを持ち込み、軍手をはめて必死に作業をしました。

根は深く張り巡らされ、無尽蔵に絡みついていて、掘っても掘っても、掘り起こせない。

私が引き抜けるようなシロモノではないことが分かったので、植え替えは断念して、挿し木で命を繋ぐチャレンジをしてみようと判断しました。

気が付いたら泥んこになりながら奮闘し、若い枝を20本くらい持ち帰りました。

ちゃんと根付いてくれるかどうかは未知数ですが、今、我が家のベランダでチャレンジしているところです。

結果がついてくるかどうかは分からないけれど、後悔のないようにその時思いついたことをやってみる、ということが両親にしてあげられる唯一のことなのかもしれません。

自己満足ではありますが、椿を引き取ってきたことで、私の中にあった未完了な気持ちは不思議と消えていきました。

もっとも、母にこのことを話したら、「どっちかというと、椿よりも山茶花を残してきたことの方が悔やまれるわ」と言われてしまいましたが。笑

どうやら椿にこだわっていたのは私だけだったみたいです。

こうして、家族の一大プロジェクトが終わりましたが、グリーフサポートを学んでいたことで、両親の心模様を察することが出来たり、どう寄り添っていくかという指針を保っていられたように感じています。

死別に限らず、人生の中にグリーフはたくさん隠れています。
 
自分や身近の大切な人の中にある、言葉にならないグリーフを見つけられるからこそ対応できることがあるのだということを痛感した出来事でした。

書いた人:穴澤由紀

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