「娘が亡くなって2年が過ぎましたが、今でもお世話になった葬儀場の前を通ることが怖いんです」
先日、知人の女性がそうおっしゃいました。
「車を走らせていて、葬儀場に近づいてくると、動悸がしてきて、なんとなくハンドルを握っている指先が震えてくるような感じがするんです。
意識してなるべく深い呼吸をしながら、葬儀場の方をあまり見ないようにして通り過ぎるのですが、その時、風景から色が消えているんですよね。全部が灰色の世界のように見えて、ぞっとするんです」
この女性にとっては、愛娘の葬儀を執り行った場所が、心に傷を負い、悲しみや苦しみを留めた場として記憶されています。
その場所の近くに行くと、抑圧された感情が噴き出すように疼き出し、いまでも身体が反応してしまうのです。
娘さんは、交通事故の犠牲となり命を落としました。
自宅のすぐそばの現場で亡くなられたのですが、その際に多くの人の目にさらされ、場が騒然となったそうです。
近所が噂で持ち切りになっているような気がして、周囲の目が怖く、自宅からは少し離れた葬儀会場を選ばれました。
友人や親戚も呼ばず、家族だけでひっそりと送ってあげたい、そう希望されたのです。
「静かに、家族数人だけで送りました。
葬儀も火葬も、大きな問題もなく執り行われたと思います」
言葉運びにひっかかるものを感じました。その言葉には実感が込められているようには聞こえなかったからです。
「実は、葬儀の前後のことはほとんど記憶がないんです。断片的に、古ぼけたスナップ写真を見ているような感じで、
葬儀場で見た娘はどんな姿だったか、自分がどうしていたのか、思い出そうと思ってもなんとなくしか浮かんでこなくて。とてもあいまいなんです。それが悔しくて……」
「もっと鮮明に思い出せたらいいのに、と思いますか?」と伺うと、即座に「そうだ」とお答えになりました。
人間には、無意識的防御規制が備わっていて、大きなショックやストレスがかかることから精神を守るために、一部の記憶が飛んでしまうこともあります。
おそらく突然の悲劇に見舞われ、愛する娘を失ったということが受け止めきれず、心も身体も非常事態に置かれている中で葬儀を迎えていたはずですから、記憶があいまいになってしまっているのも頷けます。
身体が本能的に守ってくれていたにせよ、この方にとっては、葬儀の記憶があいまいなために、それが苦しみを大きくさせているようでした。
「自分でも不思議なんですが、事故現場より葬儀場に行くことの方が怖いんです。
たぶん、葬儀の記憶があいまいなために、ちゃんと娘を送ってあげることができなかった、ちゃんとお別れできなかったという罪悪感があるんです。あの時は事故から数日しか経っていなくて、周囲の目を過剰に気にしていました。もし、相手(加害者)が葬儀に来られたらどうしよう、そんな気持ちもありました。
恐怖感が先に立って、ごく近い身内だけで葬儀をしてしまったけれど、あの子はお友達や先生にも会いたかったかもしれない……今になっていろいろな後悔が湧いてきます」
葬儀の記憶が鮮明に残っていたとしてもこの方の苦しみは変わらないのかもしれません。もしかしたら、もっと悲しみが深まってしまう可能性もあります。
とても難しく繊細な問題なので、何が正解だったとか、こうしたらよかったのに、というようなことは言えませんが、お話しを伺っていると、現実を受け止められないまま、慌ただしく葬儀・火葬をなさったことの影響もあるように感じました。
ご遺体とともにいられる最期のお時間をどうお過ごしになるかによって、死別の受け止め方は変わると思うからです。
もし、ご遺体とともにゆっくりと過ごす時間があと数日でも長かったら……。
さらにはエンバーミングなどを施すことでご遺体の状態が生前のお元気な姿に近づいたうえでお別れできたとしたら……。
もしかしたら、今、この女性が感じている苦悩は軽減されていたかもしれません。
「最期に自分ができることをしてあげられた」という思いは、納得感や自負心につながり、備わっている回復力が発揮されやすくなると思います。
葬儀は故人のための儀式でもありますが、遺された人々のためのものでもあります。
すべての葬儀が、大切な人を亡くした悲しみや苦しみを分かち合い、心の整理に繋がっていく場であってほしいですが、残念ながらそうでない場合もあるでしょう。
葬儀の時にさらに心の傷を重ねてしまうことさえあります。
事例として、英王室のヘンリー王子の言葉をご紹介したいと思います。
ダイアナ元妃が1997年に自動車事故で亡くなった時、次男のヘンリー王子は12歳でした。
事故から6日後の9月6日に準国葬が行われた際、ダイアナ元妃の棺はケンジントン宮殿からウェストミンスター寺院まで葬列を作って運ばれました。
王旗がかけられた棺には、白いユリの花と「Mummy(ママ)」と書かれた封筒が添えられていたのが印象的でした。
チャールズ皇太子やウイリアム王子、エジンバラ公フィリップ王配、元妃の弟スペンサー伯爵チャールズとともに、ヘンリー王子も葬列に加わります。
幼いヘンリー王子が、うなだれた姿で亡き母の棺の後ろについて歩く姿は、多くの人々の記憶に残っているはずです。
昨年、32歳になったヘンリー王子が当時を振り返り、アメリカのニューズウイーク誌にこうコメントしています。
「母が亡くなったばかりなのに、母の棺の後ろをずっと歩いていなければならなかった。それを数千人が周りで見ていて、さらに数百万人がテレビを通じて見ていた。どんな状況であれ、子どもにそんなことをさせるべきではない」
葬列に参加するという行為自体が、ヘンリー王子にとっては、大変つらいことだったのです。
王室の伝統的なやりかたに則って行われたことだったかもしれませんが、当時、周囲にいた(権限を持つ)大人たちはどこまで彼の本当の気持ちに気付き、寄り添えていたのでしょうか。
その後、ヘンリー王子はずっと母の死を受け入れることが出来ず、苦しみ続けたそうです。
「自分の感情を閉ざし、母親について一切考えないようにしていた」と語っています。
20代後半になって母の死と向き合うためカウンセリングを受けて、2年半の時間を費やし心身の健康を取り戻した彼は、現在、母の遺志を継ぎ、慈善活動に積極的に取り組む姿が多くみられるようになりました。
今年5月には、メーガン王妃と結婚。
ロイヤルウエディングでは本当に嬉しそうで幸せそうな表情を浮かべていらっしゃいましたね。
突然の母の死という悲嘆に折り合いをつけていく心模様を素直に表現しているヘンリー王子は、とても勇気のある人だと思います。
一方で、当時の彼のそばには、悲しみも怒りも不安もなんでも受け止めてくれて、支えてくれる大人がいなかったのかもしれないと思うと悲しい気持ちになります。
もし、葬儀の場面を含めた死別直後におけるヘンリー王子に対するサポートが違うものであれば、彼はそこまで苦しまずにグリーフの旅をもう少し穏やかに、安全に進めることができたのではないか、そんな風にも感じています。
死別直後というデリケートな時期に行われる葬儀での体験は、時に遺された人にとって大きな影響をもたらします。
今回は、葬儀での苦い記憶、というテーマで書いてみましたが、もちろん反対に、温かみや感謝の気持ちとともに思い出せる葬儀を体験した人もたくさんいらっしゃると思います。
悲しく辛かった出来事を思い出す時に、温かみや感謝の気持ちも同時に存在しているとしたら、それは本当に幸せなことではないでしょうか。
有意義なお別れの時間を持てた時、それが今後の人生を切り開いていく原動力に変わっていくと私は信じています。
(書いた人:穴澤由紀)
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