身近な人のグリーフ

身近な人のグリーフ

皆さま、こんにちは!
ジーエスアイの平島です。

 

早いものでもう10月、私事ですが東京へ来て早 10か月が経ちました。
まだまだ都会の暮らしは慣れないことばかりですが、
そんな中でも慣れた……というか諦めがついたことが「行列に並ぶ」ことです。

お手洗いにいくにも、乗り物に乗るにも、そして美味しいものを食べるにも
東京は「行列」することが基本だと心得、並ぶのがあまり苦ではなくなりました。

そんな中でも若い女の子たちがいつも行列を作っているものといえば、タピオカですよね。
私も若者に交じって、タピオカ屋さんに並んでいます。
並んで手に入れるほんの少しの贅沢……それがタピオカブームの鍵だと聞いたことがあります。

タピオカの次はどんなブームがやってきて、行列をつくるでしょうか。
いまからワクワクしている、平島です。

 

 

さて、今回は私の夫のことを少し書いてみようかと思います。

私の夫は、奄美大島の出身です。
今年に入った1月半ばに、夫の祖母が亡くなりました。
私がおばあさんに初めて会ったのは、そのわずか二週間前のお正月でした。

おばあさんはALSという難病で、だんだんと全身の筋肉が動かなくなり、
その時にはすでにどこも動かすことができず機械に繋がれた状態で、
最後まで目が見えていたのか、声が聞こえていたのか誰にも本当のことは分かりません。

けれども孫が嫁を連れてきたのを見届けて、安堵して旅立ったようでした。

 

私と夫は二週間でまた奄美へとんぼ返りして、葬儀に参列しました。
奄美の葬儀はとても独自性が強く、これについてはまた別の回で書いてみたいと思っています。

他の祖父母は早いうちに亡くなっていて、
夫にとってこれが、大人になってから初めての死別体験だったようでした。

 

葬儀を終えて東京に帰ってきてからも、思い出しては泣いたりしていました。

私は「今こそグリーフサポートを実践する時だ!」 と思いました。
中陰の期間に奄美で行われるお参りや四十九日にも立ち会えないことを、夫は淋しく思っているようでした。


そこで私は得意分野を活かそうと、七日七日にはスマホにおばあさんを写真を映して一緒に般若心経を読んだりしました。
泣きながら一生懸命に慣れないお経を読んで、それでも自分なりの供養ができていることで、 少し心が落ち着き安心しているようでした。

 

そして四十九日も過ぎ、何ら変わりない日常に戻っていったように思っていました。

しかしその後も時々、突然泣くことがあるのです。
自宅で過ごしている時もあれば、外で食事をしている時に急に泣き出すこともあり、
何か感情をぶつけるわけでもなく、ただ静かに泣いているのです。

グリーフとは、悲しみとの折り合いがついていない状態のことをいいます。
悲しみの置き場所を探して迷っている、混乱した状態なのです。


そのため普段なら人前で涙など流さない人でも、意思に反して急に涙が溢れて止められないこともあり、
なぜ泣いているのか自分でも分からないということも決しておかしなことではありません。

私は、何も言わずにただ静かにそばにいるようにしました。
するとしばらくして、どんなことを思い出したのか、どんな気持ちになったのか
ぽつりぽつりと話してくれました。

 

もし私がグリーフサポートを学んでいなかったら、どんな風に夫と接していたか……

「何で急に泣くの?何を急に思い出したの?」
きっとこんな風に質問攻めにして静寂の時間を埋め、夫をさらに混乱させていたことでしょう。

ただ静かにそばにいる、話したいタイミングが来るまで待つ、
簡単に思えて実はとても難しいことであり、それが自分にとって身近な相手であれば尚さら難しいように感じます。

 

そしてもっと恐ろしいことに、私は夫にこんな「要らない励まし」をしていた気がするのです。


「もっと若くしてALSになる人だってたくさんいるよ!」
「お年寄りでも元気だったのに突然亡くなって、心の準備ができなかった人だっているよ!」

確かにおばあさんは、ALSだったとはいえ93歳まで長生きし、ALSだったがゆえに突然ではなく一定の時間をかけてゆっくりと死に向かっていき、看取りのときを迎えました。
私の目から見たら天寿全うの、心穏やかに見送れるお葬儀でした。

しかし夫にとっては初めての身近な人の葬儀であり、家族が亡くなるという「衝撃」の体験であり、
天寿全うだから……などという感覚は微塵も無かったでしょう。

 

世の中のほとんどの人にとって、人が亡くなることは「非日常」であり「衝撃」であり、
悲しみの感じ方は一人ひとり違って、年齢や死因などの要素によって比べるようなものではないはずです。

けれど私たちは宿命として、日々たくさんのお別れの場面に立ち会い
無意識のうちに過去にお手伝いした葬儀と悲しみを比較する、思考のクセが付いていくように思います。
そうやって、「あのケースよりましだから」などと悲しみの感じ方が麻痺してしまうことがあったかもしれないと、自分を顧みます。

元気になって欲しい気持ち半分、悲しむ姿を見て不安になりたくない気持ち半分
そんな励ましを夫に投げかけていたかもしれないと思うと、
私たちは葬儀には馴れても、死別の悲しみには馴れてはいけないとつくづく思います。

 

大切な人との死別ほど、人生に大きなインパクトをもたらす出来事はないと思います。
だからグリーフワークには時間が掛かってあたり前であり、
支える人も肩の力を抜いて、穏やかに過ごしていくことが大事だなと思います。

これからもおばあさんとの思い出を反すうしながら過ごしていくであろう夫を
気負いすぎず自然にサポートしていこうと思う、今日この頃です。

  

 

ということで、今回は身近な人のグリーフについて書いてみました。
それではまた、お会いいたしましょう。

 

(書いた人:平島 まどか)