先日、マーベル・スタジオ製作の映画『ドクターストレンジ』を観てきました。
映画を見た後、止めどなく苦しみが溢れてきて、涙が止まらなくなり、思い出したことがあったので、今日はそのことにいついて書きたいと思います。
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今回の投稿は、ネタバレをするかもしれないので、これから見ようと思っている人は、皆さんの感覚や理解に僕の感じたことが先入観を与えてしまっては勿体ないので、ぜひ映画鑑賞が終わってから読んでみてください。
カンバーバッチ演じる、アメコミのヒーローである、主役のドクター・ストレンジは、天才脳外科医でした。自分の腕だけを信じ、同僚の医師を見下し、自分の名声につながらない様な症例の手術の執刀は断るような自信の塊の様な人でした。ところが、アメリカの医療業界という実力社会の中でのし上がってきた人が、ある日突然事故に会い、自信の源であった『両腕の運動機能』を失ってしまいます。
自分の財産の全てを投じて最新医療、そして、まだ実験段階にあるような実験的な先端医療を試して、自分の腕の能力を取り戻そうとあがくのですが、彼が信じた西洋医学に見放されてしまいます。そして、自分の見放した患者が奇跡的に回復していると聞いて、最後の財産を使って、チベットにある謎の寺院を訪ねる所から、魔術師としての彼の新たな人生が始まるのです。
映画を見ている時、東日本大震災の直後に特発性顔面神経麻痺を患ってしまった時のことが思い起こされてしまいました。2011年3月20日頃だったと記憶していますが、なんの前触れもなく顔の左半分の顔面神経麻痺になった時のことをお話しします。
その頃は、都内でもまだまだ余震が続いていて、顔に違和感があり、耳も聞こえにくく、少し痛みを感じて耳鼻咽喉科にいくことにしました。
元々その頃は、ひどい花粉症で、花粉症がひどくなって耳が痛くなったのかもしれないと思って病院に行きました。
しかし症状を伝えていると、耳鼻咽喉科の先生の表情が変わり、「これは軽くないですよ」と言って、顔面神経の検査をすることになりました。結果は、左顔面麻痺。
そこで、麻痺を回復させるための点滴を打つことになりました。すごく小さい点滴なのですが、終了するまで1時間あまりかかるというもので、なかなか帰宅しないことを心配した妻からは何通ものメールや電話の着信が何回も入っていました。
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『顔面神経麻痺』という正式な診断を受けて、これから1週間、毎日通院してこの治療を受けることになりました。すでにその頃には研修を仕事にしていたので、僕にとってこの症状は、致命的なものにしか感じられませんでした。
左まぶたは、開いたまま閉じてくれず、口も自分の意思に反し、綺麗に閉めることができないので、隙間から液体がこぼれ出る始末です。言葉も明瞭に話すことができなくなってしまいました。必死になって話そうとすればするほど、顔が熱を持ってしまう様な状態で、さらに舌の左半分は味覚がなくなり、何を食べても味がしない様な感じになっていました。
仕方なく、予定されていた自社内でのグリーフサポートセミナーも延期をし、入っていた予定のスケジュールも変更をお願いして、2週間ほど静養に努めました。
その間、人の勧めもあって、脳の精密検査もしましたが、特発性顔面神経麻痺であると言う診断は変わらず、内心『このまま麻痺が後遺症として残ったら、もう仕事はできないのかなあ…』とか『こんな状態では自分には何の価値もないんじゃないか…』と、その時は何もかも投げやりになりそうな自分がいました。
点滴による治療が終わり、『麻痺はかなり良くなっているよ』と言われましたが、その後が、本当に辛い日々でした。
自分の体なのに、思う様に動かないのです。
他の人には「大丈夫ですよ」と言われても、自分の発する言葉は滑舌が悪く、何を言っているのかわかりにくいに違いないと思い込んでいるので、無理して頑張って話をしてしまいます。すると、1時間ほど話すと、もうすぐに顔が熱くなって、その反面、朝目が覚めて動かしていないときは、冷たく、何も感じない状態になるなどの繰り返しで、本当に先が見えない毎日でした。
今日見た『ドクターストレンジ』の主人公が事故に会った後に発している言葉は、その頃の自分が発していた言葉と同じように感じ、本当に胸が痛くなりました。
そして、彼自身を苦しめて、治ることの妨げになっていたのは、天才脳外科医を作り上げていた「常識」、「知識」、「思い込み」でした。
アメリカの大学院で心理学を学んでいた時に学んだ『パラダイムシフト』という言葉が浮かんできました。大学院では、フルチョフ・カプラの「ターニングポイント」という著書を教科書に学んだのですが、『パラダイムシフト』とは、当然のことと考えられていた、絶対性を帯びていると思われていた認識や概念、思想、そして価値観が、劇的に、革命的に変化することを指す言葉です。
この映画の中で、指導者であるエンシェント・ワンが、自分の常識に囚われて、傲慢で意固地なドクターストレンジに言い放った言葉。
「あなたの知っている世界、それはほんの一部に過ぎない」
この言葉は、自分の常識に囚われやすい人にたくさんの気づきを与えてくれる気がしました。人は狭い世界の中で生きることも選択です。でも時にはその世界から飛び出し、色々なものからの教えや気づきを受け入れることからしか何も始まらないのです。
僕自身にとって、”知識”は唯一裏切らないと信じて、本当に貪る様にして本を読み、蓄積続けて来たものです。特に、一度社会人になった後にチャンスを得て、アメリカに留学してからは、本当に寝る間を惜しんで勉強し、自分の知っている世界をなんとか広げようと必死になって学んでいたのですが、実は、ほんの一部に過ぎなかったのかもしれません。
バランスが崩れていて不安に駆られて「あまり良くない状態」の時の僕自身は、「正誤」のみで判断をし、周りの人間を論破しようとしてしまうことがあり、主人公の様に「傲慢さ」や「慇懃無礼さ」を表に出すことが多くあります。
これでは、狭い世界の中で足掻いているだけです。
自分自身を受け入れ、解放することができたら、一生懸命努力をすることだけでは手に入れられない何かを手にできるかもしれない。そして、それは、自分を信じることで初めて開花する能力の一端なのではないかと感じさせられる映画でした。
ぜひご覧いただきたいと思います。
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