Road to Grief Support Buddy!!

グリーフサポートバディ

皆さん、はじめまして。

株式会社ジーエスアイの日高です。
今後ともよろしくお願いいたします。

さて、まずはタイトルの「ひだ坊」の説明をしなければならないですね。

以前勤めていた職場で付いたあだ名なのですが、話し方や動作が子供っぽかったからでしょうかね?
「ひだか」の「ひだ」と「坊主」の「坊」を取って、「ひだ坊」と呼ばれるようになっていました。意外と気に入っています。(笑)

そんな話はどうでもいいのですが、今日からスタートする「ひだ坊のバディへの道」は、株式会社ジーエスアイで唯一バディではない私が、一人前のバディへと成長していくドキュメンタリー企画です。

これからグリーフサポートについて学びたいと思っている方、または興味を持っているけど、どうしようか迷ってる…といった方に、是非、読んでもらえたらうれしいな~って思っています。

では、ちょっとだけ私とグリーフとの出会いからお話ししましょう。

正直、私は昨年(2017年)の初めに前職の上司の還暦を祝う会で橋爪社長と清美専務に会うまでは「グリーフ」という言葉すら知りませんでした。

4年前に父親との死別を経験した際に、自分では心の整理は出来ていたつもりだったのですが、職場復帰してすぐに情緒不安定になり、仕事にも支障が出るようになりました。

精神的なものだろうと勝手に判断して、心療内科を受診しました。
結果は予想していましたが、「うつ状態」と診断され、しばらく会社を休むことになりました。

たぶん、その時に更新していたフェイスブックを清美専務は見てくれていたのでしょう。
再会してすぐに私がグリーフ状態にあることを教えてくれました。

その後、何度かミニセミナーに声をかけてもらって参加していくうちに、自分が何故グリーフから脱出できないのかを理解することができました。

私の父は肺がんにかかり、76歳で他界しましたが、まずがん告知をしないで手術することを決めたのは私でした。
この年齢だとガンの進行も遅いので、体が動くうちは共存という考え方もあることをその時の主治医が教えてくれていたら、判断を変えていたかもしれません。

また、人工呼吸器をつけた父を見て、もう1度で良いから話がしたいと主治医に聞いたところ、今の状況なら少しの間外しても大丈夫だと思うから、最後の会話ができるかもしれないと言ってくれたので、人工呼吸器を外してもらったら、次の日の朝に容態が急変し、天国へ行ってしまいました。

その決断をしたのも私でした。

しかし、もっとも心の奥深くにしまい込んでしまっていた後悔の思いは、仕事に追われ何度も実家と東京を行き来しなければならない状況下で、1度だけ湧いてきたこの感情でした。

「お父さん、もう頑張らんでいいよ。」

裏を返せば、

「仕事が詰まってるから、早く天国に行って。」

これはこれから先もずっと悔やみ続けることでしょう。誰がなんと言おうと、優しい言葉をかけてくれようと変わることはないと思います。

私は数少ないセミナーに参加することで、自分がグリーフ状態にあることを知りました。

医者が「うつ状態」と診断した結果、周りからもガラスでも触るかのような扱いをされたり、妙に優しくされたり、かえって精神的に大変な思いをしました。

私のように、こういう人が世の中にはたくさんいると思います。
少しでもそういう人に寄り添うことができるように、これから頑張って勉強していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

では、次回はベージックコースの修了後に報告しますね。

死別体験をされた方をサポートしたい方へ

ジーエスアイでは、死別に苦しむ人達を支える時に大切なポイントをお伝えしています。
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