「家族」と過ごす時間 ~おはなのオハナし3~

「家族」と過ごす時間

こんにちは、グリーフカウンセラーおはな、こと、筒井英恵です。
気づけばあっと言う間に2月になってしまいました。

寒さ厳しい日もあれば、小春日和の日もあり、最近では花粉が飛び始めているとのことで、花粉症をお持ちの皆さんにはすでに「春」が始まっていることと想像します。

旧暦の新年立春を過ぎ、だいぶ遅れてしまいましたが、皆さんは2017年の新年をどんな風に迎えられたでしょうか?今年はどんな年にしたいと思っておられるでしょうか?

年末年始の時期は「家族」を意識する時期でもあり、グリーフと家族療法を意識している私にとっては、前回お話しした記念日反応のことも含めて、とても気になる時期でした。
リンク: http://lab.griefsupport.co.jp/ohana2

私は、個人的にボランティアスタッフとして参加している場所で、大切な人を亡くして年越しの時間にしんどい気持ちになる若者と集まり、大晦日から元旦にかけて共に過ごしてきました。たとえお互いに血は繋がっていない関係でも、「家族と過ごす時間」の温かさを感じる時間でした。

私の好きなおせちネタは錦玉子です。
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「家族」という言葉から、どんな気持ちがしますか?

唐突ですが、みなさんにとって、「家族が集まる時間」というものは、どんなものでしょうか?思い起こすと、どんな感じがするでしょうか?また、誰と一緒に居る時間を思い浮かべるでしょうか?

子どもの頃に自分の実家や親御さんの実家で過ごす時間、独身時代に自分の実家に帰省して過ごす時間、結婚してから結婚相手の実家で過ごす時間、などなど…。ご自身のライフステージによって、違った時間の過ごし方をしているかと思います。

ちょっと話はズレますが、現在30代後半の私の世代では、実家に帰る時に憂鬱になる人がそれなりに多くいるような気がします。
結婚をしていなければ「結婚はまだか」と聞かれ、結婚していても子どもがいないと「子どもはまだか」と聞かれ、自分の人生について帰省の間に親や親戚からのプレッシャーがかかる、という人が少なからずいるように思います。

そうして世代ごとに、家族が集まる時間について感じること、考えることが違ってきます。
複数の世代の家族が集まる機会があれば、それぞれの人生についてお互いに話をすることは、お互いの理解を深めてくれこともあるはずです。時にケンカになることもあるかもしれませんが(笑)

そしてぜひ、家族に限らず、身近で亡くなった人の思い出を語る時間があれば、お互いの知らなかった思い出が、思いがけず出てくるかもしれません。新たに知ったことがその後の家族に支えになる、ということも、あります。

前回のブログでは「記念日反応」のお話をしましたが、亡くした人のことを想う時というのは、亡くした人との良い思い出や楽しい思い出を思い返しながらのこともあるでしょうし、その逆に、辛い思い出を思い返しながらのこともあるでしょう。

一人で思い返す時間があることも、もちろん大切ですが、安心できる人と一緒にその思い出を共有することは、悲しみを含め、大切な人への想いと「折り合いをつけていく」ためには、とても助けになる時間になります。

ここで改めて、私の言う「家族」は、血縁のある繋がりだけではないことを、ここで改めてお伝えしたく思います。
このブログがハワイ語の'Ohanaにかけて名付けられたことを最初のブログに書いているとおりです。
「 ハワイ語の'Ohana=オハナという言葉の意味が
"ハワイ語で、広義の「家族」に相当する概念。ただし、オハナは、血縁関係がない者も含んだ意味での「家族」を意味するという点や、世代を超えて永々と続くという捉え方が強調される点に特徴があり... (from Wikipedia)"」
リンク
http://lab.griefsupport.co.jp/ohana1

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なぜ家族の話を?

なぜこうして家族の話をしているかというと、家族について知ること、つまり、その人がどんな人生を送っているか、送っていきたいか、そしてどんな最期を迎えたいかについて知っていることは、その人が亡くなる前後の、身近な人のグリーフに大きく影響すると、私は考えているからです。

その人の人生を振り返ることができるお見送りをできることが遺された人の生きる力になるのは間違いなく、そのためには、その人の生きてきた背景、つまり、家族との繋がりや家族への想いを知っていることが大切になります。

もしかしたら、こちらで書いていることはグリーフを抱えていて「グリーフを抱え、サポートを必要としている人」だけに向けたメッセージのように読めるかもしれません。

本来グリーフサポートラボは、主に「サポートをしていきたい人」へ向けたウェブサイトではありますが、私がグリーフとグリーフサポートを学ぶ中で私自身が経験し、かつ、受講生の皆さんの変化を目の当たりにする中で、確信していることが一つあります。

たとえサポートする側に立つ人であっても、その人自身のグリーフ、そしてその背景にある家族、人生、生き方、を知るプロセスが欠かせない、ということです。

「自分はサポートする側だ」と思っている人にも、人生の中で数多くの喪失を経験しているはずです。グリーフやグリーフサポートを学ぶ過程で、その喪失から感じたことにフタをしてきていたことに気づき、そこからこの学びと実践の大切さを深く実感する人が、多くいらっしゃいます。私も、その一人です。

ですので、大切な人を亡くした方々に接するお仕事に就いている皆さんに、まず自分自身について知る機会を持っていただきたい、と思っていますので、これからこのブログがその一助になれば、と私は願っています。

ぜひ一度、ご自分にとっての「家族が集まる時間」を振り返ってみたり、周りの人と語り合ってみて、人それぞれのこの時期の過ごし方や想いを共有してみてください。

一人ひとり違うことがわかって、とても興味深い共有になるかと思います。だからこそ、ここで、グリーフサポートとして大切なことがあります。

共有する時に大切にしたいこと

自分との「違い」を、話している相手を理解する材料として、ただそのまま受け止められるか、が、サポートの基本です。

同じ「かなしい」でも、その言葉から連想するものは、一人一人それぞれで、決して同じにはなりません。

大切な人を亡くした人へのグリーフサポートの中では、「その人らしい」大切な人への想いの向けかた、悲しみとの折り合いのつけかたができるようにサポートをすることが、最も大切なことのひとつです。

たとえ、話している相手と自分との感覚・考え方が違っていても、それはその人自身のもので、批判をする・されることがないような共有のしかたであってこそ、安心して大切な人の話をすることができる場になります。

自分自身や世間一般の「常識」や「こうであるはずだ」という決めつけ・ジャッジをしてしまうと、その人の気持ちをお聞きした時に、その人の世界に共感しながら理解することができなくなってしまうからです。

グリーフの中にある人はそうした決めつけやジャッジをとても繊細に感じ取ることができます。それを感じ取ると、これまでの感情にさらに「フタ」をしてしまい、グリーフのつらさを深めてしまうことになってしまいます。
リンク: http://lab.griefsupport.co.jp/grief/

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たとえば、特に家族や親子関係を始めとする人間関係は、とかく「良いもの」とされがちです。

もしかすると、亡くなった方との関係性に対して、良い関係であったことを前提に周囲の人達から言葉をかけられることが多いかと思います。

自分にとっては良い関係でなかったと感じている人こそ、亡くなった人に対する想いが深くあって、またそれを閉じ込めてしまい、グリーフの反応が強く出ていることもあります。

グリーフの反応が出ているときには、話をしているご本人自身が「おかしくなってしまったのではないか」と感じてしまっていることがあります

ですので、それはグリーフでいえば当然のこと、おかしくなってしまったのではないよ、という姿勢で聴き、また、その人にそう伝えることも大切です。

喪失の体験をした人のお話に耳を傾けるときには、ただそばにいて、ただ聴く、ということを、心がけてください。お話をする側にある人からも、「今はしんどい時だから、ただ聴いて欲しい」と伝えることができるとよいかもしれません。

互いの違いを認めて受け止めるのには、家族の話はうってつけだと思います。
気の置けない仲間とのコミュニケーションの中で、ぜひその「練習」をしてみてください。

↓たとえば、お雑煮やおせちの話は、その練習になりますね。

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それでは、今回はここまでです。

インフルエンザが大流行中のようです。たとえインフルエンザにかかったとしてもまたすぐ元気に戻れるように、くれぐれも、食事と睡眠をしっかり摂ってくださいね。

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グリーフサポートと"家族" ~おはなのオハナし~
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体調、崩していませんか? ~おはなのオハナし~
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