[きよみのみかた-2]宇多田ヒカルの「Fantôme」とグリーフサポート①

今回は、音楽の話。

宇多田ヒカルさんが、8年ぶりにオリジナルアルバム「Fantôme(ファントーム)」を発表しました。2016年年間CDアルバムランキングも、嵐・THE JSB LEGACYに次いで第3位だそうなので、聴かれた方もたくさんいらっしゃることと思います。

アルバムの完成度は、ここ何年間かの様々なアーティストのアルバムの中でも、すばらしい出来だと評判のアルバムです。

彼女を「日本のアデル」と言う喩えは、確かにそうだなと思います。

発売後に、いくつかの番組にインタビュー形式で出演していただけで、特に事前のデカいプロモーションもなく、なかなかCDが売れないこのご時世で、これだけ売れてるのは、本当に内容が素晴らしいのだと思います。

 

楽曲の専門的な批評は、音楽評論家にお任せして、今日は、このアルバムをグリーフサポートの視点から、ちょっと語らせていただこうかと思います。

久しぶりにこのアルバムが出るまでの8年の間に彼女は、離婚、母親の自死、再婚、出産と人生経験を重ねて来ました。

中でも母親である藤 圭子さんの死は、彼女の生き方を大きく変えた体験だったと言うことは、言うまでもありません。

すでに”知っているよ”と言う方もたくさんいらっしゃると思いますが、今回のアルバムには彼女の母親とのことを書いていると思われる曲が大半を占めています。

私には、今回の作品から、突然、母親が命を絶ってしまい、一人遺された彼女の、言わばグリーフプロセス(悲しみと向き合う過程)、さらに言えば、グリーフワーク(悲しみと折り合いをつけるための取り組み)の様子が垣間見えたのです。

それが、今回このblogを書こうと思った理由でもあります。

ネット上の情報によれば、一時期、身近な人が自死して苦しむご遺族のための分かち合いの会に参加していた、とありました。もしかしたら、カウンセリングも受けていたかもしれません。

彼女はその会の中で、悲しみと折り合いをつけるためには、心の中にある感情を表に出していくことが必要だと知ったのだと言います。そして、自分は曲作りを通じて、「私それやってるじゃん‼」と気づいたのだと、インタビューで話していました。

 

では早速、アルバムの中でもグリーフがテーマになっていることが比較的分かりやすい曲を、私のグリーフサポート的な見方でご紹介していきたいと思います。

 

私が、このアルバムの中でも、一番辛い頃の気持ちが溢れていると思うのは、「真夏の通り雨」
NTVのニュース番組「NEWS ZERO」のエンディングで流れている、あの曲です。

 

窓の雨.jpg

♪揺れる若葉に手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えて欲しい

今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど

勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を♪

家族に囲まれて、幸せなはずなのに孤独を感じる。幸せなはずなんだから、いつまでも悲しんでる私はおかしいの?と、訴えている様子が伺えます。

苦しいから、忘れてしまえたら…。いつになったら苦しみから開放されるのだろうか…。

悲しみから自由になりたいと思う自分と、その反面、自由になったら大切な人を忘れてしまうのではないかと、不安になる気持ちを歌っているように思います。

話したいことがいっぱいあるのに、母親はもうそばにはいてくれない。どんどん思いは溢れて来るのに、その気持ちの処理の仕方を「誰か教えてよー」と、訴えています。

辛いから忘れてしまいたい、でも、忘れてしまったら、その大切な人の存在も、さらには自分の存在意義までもが消えてしまうかもしれないと、多くのご遺族が、この心の葛藤に苦しんでいます。そんな不安な気持ちから、悲しみと向きあうことが苦しくなるのだと思います。

死別の現実を目の当たりにして、それを受け入れなくてはいけないと考える自分と、できれば夢であって欲しいと願う自分とが交錯して、自分自身がとてもぐらぐら揺らいでいる感じが伝わって来る曲ではないかと思います。

 

次に「花束を君に」と言う作品。 
NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題歌として有名ですね。

紫の花束.jpg

この曲の冒頭

♪普段かメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりのはざまで忘れぬ約束した♪

と歌い始めます。

私には、葬儀の日の朝を思わせるイメージが湧きます。もしかしたら、ずいぶん後になって、その時のことを思い出して創られたのかもしれません。

彼女の母親は、突然死を選んでしまったので、言いたいことを言えないまま目の前からいなくなってしまいました。だからこそ、言いたいことは神様にしか教えないけど、あなたには本当に感謝しているから、あなたに涙と言う花束に託して、愛しい気持ちを伝えたい、と歌っているのかなと思います。

人生の終わりと、母親のいない自分の新しい生活の始まりの日である葬儀の最後の場面。

自分にとって母親がどれだけ自分の心の支えであったこと、そして自分にとって愛情を注いでくれる素晴らしい存在であったこと、沢山の思い出をくれたことを、本当に感謝しているけど、色んな言葉で伝えることは、かえって薄っぺらくなってしまう気がしたのでしょう。

もう今はどんな言葉も伝わらないけれど、それが本当の気持ちであることに変わりはないから、彼女からの感謝の気持ちや愛しさを「涙色の花束を贈る」という表現で伝えているのではないかと思います。

本当は、荼毘にふされる前にもう一度最後に抱きしめて欲しいと言う、切実な気持ちが明るいメロディでつづられているところが、かえって切なく感じました。

 

そして、これは1曲目に入っているのですが「道」という曲。
近未来的なサウンドで始まるこの曲は、かなり後になって作られた曲ではないかと思います。

かなり、母親との思い出も心の中に置き所ができて、自分の心の内を探求してきたことが覗える曲です。

大切な人を亡くした時、その一瞬、現在、過去、未来が交錯して時間感覚もあやふやになったりします。どんなに余命宣告を受けていても、死は突然訪れます。いつの何時何分に亡くなるなどと、わかる人は一人もいません。

だからこそ、身体の一部がもぎ取られたように感じたり、心が空っぽになってしまったように感じると、生きていたつい今しがたまでは思い出せた、その人との沢山の思い出が、なぜか全く思い出せなくなってしまうのです。思い出すきっかけを失ってしまうのかもしれません。

しかし、悲しみや苦しみ、さらには自分自身と向き合う時間を重ねていくと、だんだん気持ちが落ち着き、心の傷との折り合いがつくようになって来ます。

その人との様々な出来事を、一つ一つ思い出し、再び心の中に整理し直して行くプロセスの中に、大切な人の価値観や性格が、自分の中にも見出だすことができたり、受け継いでいると感じることができると、だんだん悲しみとの折り合いをつけることができるようになって来るのです。

この曲の「真夏の通り雨」との大きな違いは、家族に囲まれて、幸せなはずなのに孤独を感じていた彼女が、「道」では、1人自立する決意をしているにも関わらず、彼女の心の中には母親の存在があり、1人ではないと感じているところです。

そして、もう一つ。

♪黒い波の向こうに朝の気配がする

消えない星が私の胸に輝きだす

悲しい歌もいつか懐かしい歌になる

見えない傷が私の魂彩る♪

暗闇の光.jpg

と、冒頭の歌詞にもあるように、ずっと暗闇だった彼女の心に光が見えて、心の中に母親から受け継いだ「何か」が軸としてしっかりあることに気づき、悲しかった日々もだんだん過去のことになって、死別によってできた悲しみの傷は、自分らしさに取り込むことができて来た様子が感じられます。

自分の娘に自分のアイデンティティが引き継がれていることにある時気づき、そこから自分のアイデンティティは、亡くなった母親から受け継いでいるもの、自分は生かされていると感じたこと。

そして、心の中にはいつも母親がいると感じられること。
今に始まったことではなく、昔からずっとそばにいてくれたと、思い出を再び自分の中に呼び戻すことができたこと。

それこそが、彼女がこれまでの悲しみや苦しみを通じて、自分の内面を探求してたどり着いた、彼女ならではの答えだったのだと思います。


彼女はシンガーソンライターとして、元々歌に自分の気持ちを託すことが、それほど特別なことではなかったと思います。もちろんシンガーではない人にとって、同じように気持ちを表現することはできないかもしれません。

それでも、死別によって湧き上がる感情を心の中に押し込めた状態(グリーフ)から、自分らしく表現する(モーニング)ことができれば、そのプロセスは辛くても、必ず悲しみと折り合いがつくと言うことは、おわかりいただけたのではないかと思います。彼女の体験は、大切な人を亡くし、苦しんでいる人たちにとって、とてもわかりやすいロールモデルだと思います。

 

ずいぶんと、勝手に読み解いてしまいましたが、まだもう少し語りたいことも出てきてしまったので、次回も、宇多田ヒカルの「Fantome」から、他の曲について読み解いてみたいと思います。


是非、お楽しみに。

【過去記事】
きよみのみかた 再起動します。

【関連ページ】
https://www.facebook.com/griefsupport.griefcare/